結婚生活とその破綻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:12 UTC 版)
「広島タクシー運転手連続殺人事件」の記事における「結婚生活とその破綻」の解説
1992年(平成4年)初めごろには借金が総額約500万円になっていたが、当時29歳だったHは同年春に叔父の紹介で当時30歳(Hより1歳年上)の女性と結婚した。Hは借金返済で心機一転を図り、1992年7月には安佐南区の新興住宅地で建売住宅を購入し、その住宅ローンを実際の金額より400万円上乗せして組み、妻の貯金100万円と足して合計500万円を作ることで借金を完済した。 また結婚が転機となって生活が徐々に改善していき、1993年(平成5年)4月には長女が誕生して1児の父親になった。Hはこのころ「家も持ったし子供もできた。これで世間も認めてくれる」と希望を持ち始めていたが、長女誕生から2日後には産褥期の妻が突然意味不明な言葉をつぶやき続けたり時折奇声を上げたりなど精神疾患を発症した。そのため、Hは妻を入院させ娘を妻の実家に預けたが、その後は再び遊興に明け暮れて借金を重ねるようになり、1994年(平成6年)末には200万円の借金を抱えたため、実家の兄に借金を肩代わりさせたが、義両親の実家に引き取られた娘と疎遠になったことなどから生活は荒れていく一方で、その後も再び借金を繰り返していた。 Hは最初の殺人(A事件)を起こした1996年4月当時、約350万円の借金を抱え月々15万円を返済していた一方、借金を親類・妻に知られないようにするため「いざとなれば自殺して生命保険の保険金で返済すればいい」と自暴自棄な考えも抱いたが、結局は自殺すらできず「己の不運は全て周囲のせい」にしていた。また被害者を物色していた流川地区では「タクシーの男」として知られ、事件の3, 4年ほど前から頻繁に顔を見せ「客にならなくても毎晩のように訪れてくる」ことで有名になっていたが、1996年になってからは遊ぶ金が尽きたため冷やかしだけで帰るようになっていた。後に取り調べを受けた際に「どうせ俺なんか」と自暴自棄な発言をしたが、『毎日新聞』(毎日新聞社)はその言葉の真意を「Hは大学入試など人生での挫折経験を自分で乗り越えることができず『何をやってもダメ』という自己否定的な観念を心の奥底に引きずって生きてきたのだろう」と考察した。
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