結婚生活と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/16 22:26 UTC 版)
「フランソワ・コティ」の記事における「結婚生活と晩年」の解説
コティは先のイヴォンヌと結婚し、ローランとクリスティアーヌの2人の子をもうけた。しかし毎晩のように多数の愛人に囲まれて生活しており、愛人たちの間にも子供がいた。コティの香水販売が成功し、拡大してゆく一方、イヴォンヌとの関係は年々冷え切って行った。 その一方でコティは1906年にブローニュの森の近くにあるロンシャン城を買い取り、自身の開発した香水、ビン、包装と広告を設計する研究所として投資を続けるなど、香水で得た売り上げ金を湯水のように使った。 両者は1929年に離婚。コティが3度にわたる分割払いにおいて、イヴォンヌに対し数百万フランもの慰謝料を支払うことで、離婚和解は規定したが、コティは1931年の最後の支払いを履行しなかったため、イヴォンヌは離婚裁判所へ訴えた。これが認められると、コティの財産を大部分を差し押さえると共に、コティ社の経営権ならびに先出の2紙の新聞社の経営権の所有を認めた。 1934年、コティは肺炎を患い、ルーヴシエンヌの自宅で死去する。なお彼が設立したコティ社は、先の妻、イヴォンヌが「コティ家の人間がもう興味を示していない」との理由により、1963年にニューヨークに本社を置くファイザーへと売却された。その後コティ社の本社機能も長年置かれていたシュレンヌからニューヨークに移っている。
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