糖業会館・ニッポン放送本社ビル
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「糖業協会」の記事における「糖業会館・ニッポン放送本社ビル」の解説
糖業会館は1939年8月15日に落成し、修拔式が執り行われた。1944年4月から農林省(現 農林水産省)に貸し出され、地下1階は1949年から帝国ホテルによる食堂「リッツ」の営業が行われた。農林省は1953年に霞が関の中央合同庁舎第1号館に転出したが、これに代わる賃料収入源として会社設立間近だったニッポン放送との間に1954年2月1日に賃貸契約が締結した。設立直後の富士テレビジョン(フジテレビジョン)本社も入居し、1962年に新宿区市谷河田町へ本社機能を移転した。 駐日アメリカ大使館からの使用申し入れがあったがこの交渉は実らず、帝国ホテルは1958年の第二新館完成に伴い地下食堂の賃貸契約を終了させ、代わってニユートーキヨーが営業を開始した。 1992年にニッポン放送から「糖業会館の耐用年数は限界に近付き、局としても新メディアに対応するスペースが欲しい」として、共同でのビルの建て替えを糖業協会側に申し入れた。清水建設による耐震診断の結果、躯体に問題はないものの外壁や設備の補修に多額の費用を要すること、当時の建物容積率は600%で、条例で定められた容積率1,000%が有効利用されていないことなどから建替えを決断した。決断を受け、ニッポン放送は先行して、1997年4月にお台場のフジテレビ本社ビルに一時移転した。なお、会館が解体される2001年8月まで、ニッポン放送は分室を会館に設け、一部フロアを首都圏営業部として使用した。 会館は2001年8月より解体に着手し、建替え期間中は、糖業協会は設計・監理を行う三菱地所設計の紹介で隣接する日比谷パークビルに一時移転。当該ビルも建替えに入るため2003年2月には新丸ノ内ビルヂングに再移転した。 開かれた情報発信を両者共通のテーマとして建て替えは進められ、社会に対する情報発信の拠点としてふさわしい建物となることを目指し、2002年1月に着工。2004年4月5日に地下4階・地上9階からなる共同ビルは竣工式を迎え、糖業協会とニッポン放送が戻るとともに、地下1階にはニユートーキヨーによるラウンジバー「綴」がオープンした。 外装にはガラスカーテンウォールと石の垂直壁により、街並みの中で存在感を示すと同時に調和させることを重要視した。特に前面に建つDNタワー21の石の塊との対比を意識してガラスを全面に採用した。また、糖業協会内装には旧会館のインテリアを部分的に保存利用して旧会館の雰囲気を伝えている。
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