糖業会館・ニッポン放送本社ビルとは? わかりやすく解説

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糖業会館・ニッポン放送本社ビル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 04:30 UTC 版)

糖業協会」の記事における「糖業会館・ニッポン放送本社ビル」の解説

糖業会館1939年8月15日落成し、修拔式が執り行われた。1944年4月から農林省(現 農林水産省)に貸し出され地下1階1949年から帝国ホテルによる食堂リッツ」の営業が行われた。農林省1953年霞が関中央合同庁舎第1号館転出したが、これに代わる賃料収入源として会社設立間近だったニッポン放送との間に1954年2月1日賃貸契約締結した設立直後富士テレビジョンフジテレビジョン本社入居し1962年新宿区市谷河田町本社機能移転した駐日アメリカ大使館からの使用申し入れがあったがこの交渉実らず帝国ホテル1958年第二新館完成に伴い地下食堂賃貸契約終了させ、代わってニユートーキヨー営業開始した1992年ニッポン放送から「糖業会館耐用年数限界近付き、局としても新メディア対応するスペース欲しい」として、共同でのビル建て替え糖業協会側に申し入れた清水建設による耐震診断結果躯体問題はないものの外壁設備補修多額の費用要すること、当時建物容積率600%で、条例定められ容積率1,000%が有効利用されていないことなどから建替え決断した決断を受け、ニッポン放送先行して1997年4月お台場フジテレビ本社ビル一時移転した。なお、会館解体される2001年8月まで、ニッポン放送分室会館設け一部フロア首都圏営業部として使用した会館2001年8月より解体着手し建替え間中は、糖業協会設計・監理を行う三菱地所設計紹介隣接する日比谷パークビル一時移転当該ビル建替えに入るため2003年2月には新丸ノ内ビルヂングに再移転した開かれた情報発信両者共通のテーマとして建て替え進められ社会対す情報発信拠点としてふさわしい建物となることを目指し2002年1月着工2004年4月5日地下4階地上9階からなる共同ビル竣工式迎え糖業協会ニッポン放送が戻るとともに地下1階にはニユートーキヨーによるラウンジバー「綴」がオープンした外装にはガラスカーテンウォールと石の垂直壁により、街並みの中で存在感を示すと同時に調和させることを重要視した。特に前面に建つDNタワー21の石の塊との対比意識してガラス全面採用したまた、糖業協会内装には旧会館インテリア部分的に保存利用して旧会館雰囲気伝えている。

※この「糖業会館・ニッポン放送本社ビル」の解説は、「糖業協会」の解説の一部です。
「糖業会館・ニッポン放送本社ビル」を含む「糖業協会」の記事については、「糖業協会」の概要を参照ください。

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