第6軍団の突破、ボイドトン板張り道路前線
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「第三次ピーターズバーグの戦い」の記事における「第6軍団の突破、ボイドトン板張り道路前線」の解説
ライトはその前の2日間注意深く計画していた後で、その前線の左端、北軍のフィッシャー砦とウェルチ砦の対面にあるジョーンズの家から南軍の前線に対する攻撃を選んだ。両軍の前線の間にある土地は樹木が無く、ライトの前線の左端近くに湿地がいくらかある他は天然の障害もほとんど無かった。攻撃をかける点の右手には浸水した土地があり、リード・ワークスの近くは強固な防御工作があった。南軍はこの前線に沿って数百ヤード毎に砲台を備えていた。3月25日におきたジョーンズ農園の戦いで南軍の哨戒線を捕獲していたので、第6軍団は南軍主前線に十分近くおり、防衛線まで2,500ヤード (2,300 m) を援護されて接近すれば成功する可能性があった。 ジョーンズ農園の戦い後、北軍前線の前進した陣地からジョージ・W・ゲティ准将(名誉少将)師団のルイス・A・グラント准将(名誉少将)が、南軍前線を切断している谷を発見していた。前線にある開口部、荷車のために壕に敷かれた板張り道路、さらに兵士が通れるような障害物に何本か杭がなくなっている所にも気付いた。攻撃を始める時になると、グラントのバーモント第1旅団が谷の右手に進み、他の部隊がその旅団の位置で誘導された。 その攻撃の間、北軍の砦や塹壕には小さな守備隊しか残されていなかった。ライトは約14,000名の攻撃部隊を持っており、それが約1マイル (1.6 km) の前線に配された約2,800名の守備兵に襲い掛かった。北軍の哨戒線の背後で集中攻撃の隊形を作り、ライトの全軍団が幅1マイルの楔形を形成した。ゲティ准将の第2師団が中央正面に、他の2個旅団より前に出ており、フランク・ウィートン准将(名誉少将)の第1師団が右翼後方、トルーマン・シーモア准将の第3師団が左翼後方に就いた。密な隊形ではあったが、旅団の間には十分な隙間を明け、各旅団の前線は少なくとも50ペース (38 m) は間を明けて置いた。 北軍の攻撃部隊は暗闇の中で、南軍の哨戒線からは約600ヤード (550 m)、主前線からは600ヤード (550 m) の位置に集められた。夜の闇のために視界が悪かったが、守備兵は敵軍の動きによって警告され、北軍の集合地域に手あたり次第発砲し始めた。北軍に幾らか損失が出た。その中ではルイス・グラント准将が頭部に重傷を受け、連隊指揮をアマサ・S・トレイシー中佐に渡すしかなくなった。トマス・W・ハイド大佐の旅団では2人の連隊長が致命傷を負った。南軍が銃撃を始めたが、北軍は計画した攻撃を諦めないために反撃することは許されなかった。ゲティの隊は攻撃前の4時間近く、冷たい土の上に腹ばいになっていなければならなかった。シーモアの師団は、北軍の前進基地からの銃撃で徴発された南軍哨戒兵からの射撃で厳しく攻撃された。
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