第四次マイソール戦争
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第四次マイソール戦争(だいよんじマイソールせんそう、英語:Fourth Anglo-Mysore War, カンナダ語:ನಾಲ್ಕನೆಯ ಮೈಸೂರು ಯುದ್ಧ)は、イギリス東インド会社とマイソール王国との間で南インドで行われた戦争。
- ^ ガードナー『イギリス東インド会社』、p.179
- ^ ガードナー『イギリス東インド会社』、p.180
- ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.213
- ^ a b c d e f g h i j k l ガードナー『イギリス東インド会社』、p.187
- ^ a b c d e ガードナー『イギリス東インド会社』、p.186
- ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.44
- ^ a b ガードナー『イギリス東インド会社』、p.181
- ^ a b c d ガードナー『イギリス東インド会社』、p.184
- ^ 1
- ^ 1
- ^ a b c d e ガードナー『イギリス東インド会社』、p.188
- ^ MYSORE The Wodeyar Dynasty GENEALOGY
- ^ a b チャンドラ『近代インドの歴史』、p.76
- ^ a b c ガードナー『イギリス東インド会社』、p.192
- 1 第四次マイソール戦争とは
- 2 第四次マイソール戦争の概要
- 3 戦争に至るまでの経緯
- 4 戦争への準備
- 5 参考文献
第4次マイソール戦争 (1799年)
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「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「第4次マイソール戦争 (1799年)」の解説
イギリス王立海軍ホレーショ・ネルソン提督の活躍でフランス革命軍ナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征は失敗におわり、フランス軍がエジプトからマイソール王国に援軍を送る可能性はなくなった。好機到来と見た兄モーニントン伯爵は1799年2月よりイギリス東インド会社軍にマイソール侵攻を開始させた(第4次マイソール戦争)。 アーサー率いる第33歩兵連隊はその中心として活躍し、ティプーの立て籠るセリンガパタム要塞に対する最初の攻撃を敢行した。しかしアーサーは昼間まで待って偵察せずに夜間のうちに攻撃を敢行しようとしたことで、要塞までの道のサルタンペター林において、どこにいるか分からない敵から一方的に攻撃を食らって退却を余儀なくされた。この時の教訓で以降アーサーは昼間に十分に偵察を行うことを心がけるようになった。 5月のセリンガパタム要塞への再攻撃ではデヴィッド・バード(英語版)の指揮下で戦ったが、今度は問題なくサルタンペター林を通過して総攻撃の末にセリンガパタム要塞を陥落させ、ティプーを討ち取ることができた。
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