シュリーランガパトナ条約とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > シュリーランガパトナ条約の意味・解説 

シュリーランガパトナ条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/24 19:37 UTC 版)

シュリーランガパトナ条約
シュリーランガパトナ条約によって変更された領土
通称・略称 シュリーランガパッタナ条約
署名 1792年3月18日
署名場所 シュリーランガパトナ
締約国 マイソール王国イギリス東インド会社ニザーム王国マラーター王国
テンプレートを表示

シュリーランガパトナ条約(シュリーランガパトナじょうやく、英語:Treaty of Srirangapatna)は、1792年3月18日インドシュリーランガパトナにおいて、マイソール王国イギリス東インド会社ニザーム王国マラーター王国との間に結ばれた条約。

シュリーランガパッタナ条約(Treaty of Srirangapattana)とも呼ばれる。

この条約でマイソール王国はトラヴァンコール王国コーチン王国などを除くケララ地方全域をはじめとするマイール王国の約半分の領土などが取り決められた。

概要

引き渡されるティプー・スルターンの2人の息子とチャールズ・コーンウォリス

1792年2月24日マイソール王国ティプー・スルターンイギリス側のチャールズ・コーンウォリスとの間で第三次マイソール戦争の和平が結ばれ、3月18日シュリーランガパトナ条約を結んだ[1]

同年3月18日、マイソール王国とイギリスおよびその連合軍であるマラーター王国ニザーム王国との間に和平条約であるシュリーランガパトナ条約が締結された[1]。とはいえ、この条約はマイソール側にとっては非常に厳しいものであった。

まず、ティプー・スルターンは和平を結ぶにあたり降伏を認めなければならず、マイソール王国はイギリス、マラーター王国、ニザーム王国の三者に対し、実にその領土の半分(あるいはそれ以上)を割譲しなければならなかった[1][2]。これにより、イギリスはマイソール王国のカリカット地方とバーラーマハル地方、ニザーム王国は同国の北部を、マラーター王国は東北部をそれぞれ割譲された。

次に、マイソール王国はイギリスおよび同盟勢力に対し、多額の賠償金を支払わなければならなかった[3]。その額は実に3000万ルピーにも及ぶ高額の賠償金であった[2]。無論、これらの捕虜は全員解放しなければならなかった[3]

最後に、ティプー・スルターンは高額の賠償金の支払いを保証するため、愛する二人の息子をイギリスに差し出さなければならなかった[3]。彼は息子らが人質として差し出される際、悲痛な気持ちで見送ったのだという[3]

二人の息子のその後

ティプー・スルターンの息子らとコーンウォリス

コーンウォリスは引き渡しのとき、2人の少年が首に大きな真珠の首飾りをまき、ターバンにも真珠で模様がつけられていたこと、立派なブリリアント型の宝石で縁取られたルビーエメラルドの装飾品を懸けていたことを記録している[4]

その後、ティプー・スルターンの息子2人はコーンウォリスとともにマドラスへ向かった。

コーンウォリスは部下に対して少年らに丁寧な態度で接するように命じ、自身もまた気遣って対応した[4]。また、彼の手紙には「2人の少年はマナーもよく、一緒にいると実に楽しい」と書いている[5]

同年10月 、コーンウォリスが本国へと出航する際、二人の少年は釈放を命じた。しかし、保釈金の支払い問題から釈放が送れ、1794年3月29日に2人の少年は首都シュリーランガパトナへと帰還した[6]

脚注

  1. ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.206
  2. ^ a b チャンドラ『近代インドの歴史』、p.72
  3. ^ a b c d ガードナー『イギリス東インド会社』、p.174
  4. ^ a b ガードナー『イギリス東インド会社』、p.175
  5. ^ ガードナー『イギリス東インド会社』、p.176
  6. ^ KHUDADAD The Family of Tipu Sultan GENEALOGY

参考文献

  • 辛島昇『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』山川出版社、2007年。 
  • ビパン・チャンドラ 著、栗原利江 訳『近代インドの歴史』山川出版社、2001年。 
  • ブライアン・ガードナー 著、浜本正夫 訳『イギリス東インド会社』リブロポート、1989年。 

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シュリーランガパトナ条約」の関連用語

シュリーランガパトナ条約のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シュリーランガパトナ条約のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシュリーランガパトナ条約 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS