第3工区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:23 UTC 版)
第3工区は熊谷組により、筒石斜坑によって1966年(昭和41年)8月に斜坑坑底(米原起点344 km 545 m)へ取り付き、直江津方と米原方の2方向へ掘削を開始した。直江津方は底設導坑先進上部半断面掘削逆巻工法で掘削し、米原起点344 km 700 m 前後の280 m では筒石川直下の土被りの薄い箇所にもかかわらず、筒石駅を設置するため通常断面より側幅が1.3 m 広い特殊断面を掘削した。この区間は順調に進行し1967年(昭和42年)3月に工区境に達し、4月7日に第4工区と貫通し頸城トンネル各工区間で最初の貫通となった。 一方米原方は、濁澄川直下であり地すべり誘発の危険性が最も大きい区間であること、地耐力不足で上半アーチが沈下するおそれから当初からサイロット工法を採用して掘削した。しかし直江津方が第4工区と貫通した1967年(昭和42年)4月ごろ、左右の側壁導坑が800 mほど米原方へ進んだところ(米原起点343 km 850 m地点)で左右両導坑とも強大な地圧を受け支保工が変形し、一旦以奥での作業を中止しこの区間の支保工補強に専念した。それでもなお強大な荷重から補強の必要が生じ、縦横に丸太などで柱・横はりを施工したため導坑は通行不能となり、以奥での切羽は4か月間にわたり作業を中止した。 その後数か月かけ米原起点345 km 745 - 935 m間の導坑縫返し、仮巻コンクリートを実施し、同年8月に導坑掘削を再開したが、この区間を含む約200 m 間では後に側壁コンクリート押出し現象が発生し、一部は手直しとなった。それでも翌1968年(昭和43年)夏には無事濁澄川下部のベントナイト層区間の施工を完了した。 なお前述したように第3工区には大藤崎斜坑が追設されており、米原方の590 m (米原起点342 km 310 mから342 km 900 m)については大藤崎斜坑からの施工を行った。このことや、第2工区側の掘削停止期間の関係もあり第2工区との境界における600 m の未契約区間は、すべて第3工区の担当となった。
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