第1次内戦(1989年~1996年)
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「リベリア内戦」の記事における「第1次内戦(1989年~1996年)」の解説
そんな不満からついに1999年頃からセクー・コネ (Sekou Conneh) 率いる反テーラーの武装勢力リベリア民主和解連合(LURD) (Liberians United for Reconciliation and Democracy) やトマス・ニメリー (Thomas Nimely) 率いるリベリア民主運動(MODEL) (Movement for Democracy in Liberia) の武装勢力が蜂起し勢力を拡大。2003年には首都モンロビアへ進攻した。この時点ですでにテーラーの権力は弱体化しており、6月17日には政府と停戦合意するに至った。その後アメリカなどによる圧力や、西アフリカ諸国経済共同体による平和維持軍と800人ほどのアメリカ陸軍の到着などから、テーラーはナイジェリアに逃亡した。この結果、政府・反政府勢力間で和平合意が結ばれ、停戦に至った。その後国際連合リベリア・ミッション(UNMIL)が設立され、和平のために、停戦合意の検証、武装勢力の武装解除および社会復帰支援、人権擁護の推進、治安状況の回復支援、和平合意の推進支援を行なっている。 反政府軍 反テーラー攻勢の中心となったのは、リベリア民主和解連合(LURD)である。LURDは実質的にULIMO-Kを再結成したような組織であり、戦闘員はULIMOと同様クラン族やマンディンゴ族によって構成されていた。また、LURDはギニア、シエラレオネ、アメリカの支援を受けており、ギニアとシエラレオネの国境地域を拠点としていた。 LURDは継続的なゲリラ活動によって政府側の支配下と見た地域を次々と攻撃し、また、2003年3月にはコートジボワールに支援を受けたリベリア民主運動(MODEL)も戦線に参加。同年にはリベリア全土のテーラー政権の支配地域を3分の1まで縮小させることに成功していた。 テーラー政権時のリベリア軍 テーラーは軍を解体して司令官としてジョン・テルヌエ(John Tarnue)を任命し、新たに6,000人(陸軍5,160人、海軍600人、空軍240人)の兵士によって軍を再編した。第二次内戦においてリベリア正規軍の役割は大きくなく、テーラー政府軍の主戦力となったのは元NPFL戦闘員や少年兵といった民兵であった。 更に正規軍や民兵だけでなく、以下の不正規部隊がテーラー政権の要人警護や対反乱作戦に参加していたとみられる。 特殊作戦部隊(Special Operation Division,SOD) - リベリア国家警察の特殊部隊。 特別保安機関(Special Security Service,SSS) - リベリア国家警察の要人警護部隊。 対テロ部隊(Anti Terrorist Unit,ATU) - テーラー直属の精鋭部隊。主に外国人兵士で構成されており、ブルキナファソ人、ガンビア人、シエラレオネ人のRUF戦闘員によって構成されていた。 また、これらの部隊はほかの部隊同様たびたび略奪行為や民間人の殺害を行うことから(特にATUはテーラー・ジュニアの拷問などに加担し“Demon Force(悪魔の部隊)”と呼ばれ恐れられていた。)戦後隊員たちの中に特別法廷にて逮捕され、処罰を受ける者が多かった。
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