第1次出兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 06:20 UTC 版)
「第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争」の記事における「第1次出兵」の解説
1848年4月、プロイセン王国はドイツ連邦(オーストリアは不参加)と共に兵を起こし、フリードリヒ・フォン・ヴランゲルを総司令官としてシュレースヴィヒ=ホルシュタインへ攻め込んでデンマーク軍を撃退した。5月にはユトランド半島のデンマーク領に侵入したプロイセン軍の優勢に反発したイギリス・フランス・ロシア・オーストリア等が外交で干渉しはじめ、デンマーク海軍が半島東部の港湾を海上封鎖した。海軍力に劣るプロイセンは窮地に陥り、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は「犬と魚の戦争だ」と呟き、調停をスウェーデンに託し、スウェーデン南部のマルメで約8か月の休戦条約が結ばれた。これに両公国の自治を支援したドイツ人達は不満を募らせ、プロイセンの消極的態度を批判した。
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