第1期線開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 13:40 UTC 版)
「金沢電気軌道#沿革」も参照 金沢市に路面電車を敷設する計画は1905年(明治38年)ごろからいくつか浮上したが、軌道敷設特許取得まで進んだものは1911年(明治44年)に立案された「北陸電気軌道」の計画である。発起人は1912年(明治45年)6月28日に特許を得たが、発起人の交代や中心人物の入れ替わりがあり会社設立までに時間を要し、4年後の1916年(大正5年)10月29日、ようやく「金沢電気軌道株式会社」として会社設立に至った。筆頭株主の旧加賀藩主前田侯爵家の前田利為をはじめ旧藩関係者が多く出資しており、社長にも旧藩家老の家の出である本多政以が就いた。 会社発足当時、金沢市内の道路は江戸時代からほとんど変わっておらず旧態依然としたものであった。そこで市街電車の敷設とともに市区改正・道路拡張を行うこととなり、金沢電気軌道・石川県・金沢市3者の費用負担により金沢市が工事を執行するという事業が纏められた。犀川・浅野川に挟まれた中心市街地の道路が第1期工事として施工され、1917年度(大正6年度)から1919年度(大正8年度)にかけて主要道路の幅員が8間(約14.55メートル)に拡張された。 電車敷設にあたり、金沢電気軌道では本社・車庫用地として上胡桃町(現・小将町)の金沢地方裁判所跡地を買収した。道路拡張に続く軌道敷設工事は会社の担当であり、まず第1期線として以下の区間の建設が決まった。 武蔵ヶ辻より枯木橋(橋場町交差点)、紺屋坂下(兼六園下)、香林坊を回って武蔵ヶ辻へ戻る路線 武蔵ヶ辻より北陸本線金沢駅前へ至る路線 枯木橋より浅野川大橋へ至る路線 紺屋坂下より金沢病院(現・金沢大学附属病院)前へ至る路線 香林坊より犀川大橋へ至る路線 このうち金沢駅前停留場から武蔵ヶ辻・橋場町を経て兼六園下停留場(開業時「兼六公園下」)へ至る区間が先行着工され、1919年(大正8年)2月2日より営業を開始する。次いで同年7月13日に第1期線全線開通に至り、橋場町から浅野川大橋停留場まで、兼六園下から小立野停留場(開業時「金沢病院前」)まで、兼六園下から香林坊停留場まで、武蔵ヶ辻から香林坊経由で犀川大橋停留場までの区間が開業した。 この第1期線全線開業にあわせて4日間、車体に大量の電球を取り付けた5台の花電車が祝賀運転され、15日には公会堂にて竣工式典が挙行された。
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