第二次大戦前後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 01:10 UTC 版)
「アメリカ合衆国の宇宙開発」の記事における「第二次大戦前後」の解説
第二次世界大戦の末期にはドイツのロケット科学者はその技術から連合、共産両陣営がほしがった。科学者たちは亡命先にロシアよりもアメリカを選んだため、多くの科学者が貴重な資料やV2の部品と共にアメリカに渡った。ヴェルナー・フォン・ブラウンもその中の一人であった。彼はその才能をアメリカ陸軍弾道ミサイル局に買われ、本拠地であるレッドストーン兵器廠で大陸間弾道ミサイル開発の競争やロケットの開発に力を入れた。 当時は核弾頭を運ぶためのキャリアとしての意味合いが強かったロケットは大陸間弾道ミサイルとして利用され、また、気象や大気の観測にも使われるようになった。その後、国際地球観測年に合わせてこのロケットによって地球を回る人工衛星で地球を観測し、ソ連を凌駕しようというオービター計画が生まれた。また、これにカメラを載せれば、将来的に相手を偵察することが出来る。アメリカはロケットの開発を進めたが、ロケットの開発が陸軍、海軍、空軍のどれに属するかでもめた。陸軍は大砲の延長として、海軍は気象観測のための重要機械として、空軍は空を飛ぶロケットは航空分野であるとしてそれぞれが権利を主張したためであった。このため、それぞれが独自に開発を行っていた。人工衛星の計画後、打ち上げに際しては陸海軍が合同で計画を行うはずであったが、気象観測を自らの分野として主張していた海軍の意見が取り入れられ、海軍が衛星を開発することになり、ヴァンガード計画が始まった。
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