第二・第三次産業
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2014年(平成26年)の経済センサスによると、新鹿町の全事業所数は39事業所、従業者数は119人である。具体的には卸売業・小売業が9、サービス業が5、生活関連サービス業・娯楽業が6、宿泊業・飲食サービス業が5、建設業と医療・福祉がそれぞれ3、教育・学習支援業と公務がそれぞれ2、製造業、運輸業・郵便業、不動産業・物品賃貸業、複合サービス事業がそれぞれ1事業所となっている。全39事業所のうち34事業所が従業員4人以下の小規模事業所である。 新鹿町の特徴的な第三次産業として観光業がある。地域住民は民宿や渡船を営み、夏季には海の家を兼業する人もいる。新鹿町は海水浴場や釣り場を擁する観光地であり、2000年代の新鹿海水浴場の海水浴客は1日平均230人であった。しかし観光業は苦戦気味であり、1987年(昭和62年)と1997年(平成9年)に海から景色を楽しむ遊覧船を就航した が現在は運航しておらず、白いコテージが特徴であった「あたしか温泉」 も現在[いつ?]は休止中である。
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第二・第三次産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 14:48 UTC 版)
香良洲町では水産加工業が工業の中心にあったため、水産加工業の縮小により、戦後は一貫して工業生産は減少していた。しかし1965年(昭和40年)3月に、中勢から南勢にかけての沿岸部を北勢に次ぐ県下第二の工業地帯とする『地域別総合開発構想』を三重県が発表し、1968年(昭和43年)には日本石油(日石)が香良洲町への進出を表明した。日石は石油精製工場や研究所の建設のために埋め立てを行う予定であったが、住民の反対により計画は取りやめとなった。その後三重県は1973年(昭和48年)に香良洲町を農村工業導入促進地域に指定、1986年(昭和61年)にマリンフーズが、翌1987年(昭和62年)にはフタバ食品の誘致に成功し、三重県初の食品工業団地が形成された。 商業は津と松阪の2大商業地に挟まれ、町内の商業活動は需要補助的なものである。町民による特徴的な商業活動として行商が挙げられ、朝に獲ったカレイなどの魚や水産加工品を自転車や自動車、鉄道(近畿日本鉄道の鮮魚列車)を利用して県内では津市街や津市旧一志郡地域、松阪市旧飯南郡地域へ、県外では大阪市まで行商に出かける。観光業は香良洲浦での夏季のレジャーが中心で、伊勢の海県立自然公園指定以降、本格的になった。1990年(平成2年)の観光客数は11,600人で、うち県外客が70.7%、宿泊客が12.6%であった。
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