第二の核の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 15:00 UTC 版)
核拡散の兆候は冷戦中から見られたが、ソ連の崩壊による冷戦の終了に伴って、それまで抑えつけられていた小国への核拡散が始まった。第二の核の時代である。 インドの最初の原爆実験は1974年に微笑むブッダというコードネームで実施された。インド政府の説明によると、それは"平和目的の核爆発"としている。インドは原爆と (おそらく) 水爆を1998年に爆発させている。同年、隣国パキスタンも原爆実験を成功させ、国際社会から、相互に核兵器を使用し合うのではないかと懸念された。 また、ソビエト連邦の一部であった3国 (ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタン) は、ソ連崩壊時に核兵器を引き継いだが、それらは1996年までには全て自主的に放棄、またはロシアへと返還している。 2004年1月、パキスタン人冶金学者、兵器学者のカーン博士が告白したところによると、彼は核技術・核物質・知識や機器の闇市場を構築し、リビア、イラン、北朝鮮に核開発に繋がりうる物資・情報を提供したとされている。 南アフリカ共和国は、2006年3月に過去の核開発計画について発表した。それによると、1960年代に少なくとも6発のウラン型原爆を開発し たが、それらは全て1990年代初頭にまでは廃棄したという。一般的には核実験を行なったとは考えられていないが、1970年代にアメリカのスパイ衛星が"アフリカ南部で、短く、強烈な、二回の閃光を検出した"と伝えられている(ヴェラ事件として知られている)。これは南アフリカ共和国とイスラエルの核実験であったと推測されているが、一部にはこの閃光は自然現象だとの見方も存在する。なお、21世紀に入って南アフリカが核開発計画を明かすまでは、アメリカの諜報機関は南アフリカの核兵器についてまったく情報を得ていなかったという。 イスラエルは、実戦配備された核兵器を最大で数百程度所持していると広く国際社会から信じられている。しかし、公式には核兵器の保有を否定も肯定もしない立場を取り続けている。 北朝鮮は、2003年にNPTを脱退、2006年10月9日になって初の核実験を実施、また二度目の核実験を2009年5月25日に実施している。 この他にも、過去に核兵器の開発を目指していた国が多数存在する。過去の開発国を参照。
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