第一次能代大火の概要とは? わかりやすく解説

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第一次能代大火の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 23:14 UTC 版)

能代大火」の記事における「第一次能代大火の概要」の解説

1949年昭和24年2月20日0時35分頃、市街西部清助町新道木工所から出火した第一発見者当時能代市消防団常備消防部の団員で、望楼からの発見である。この冬は暖冬市内にほとんど積雪がなく、また火災発生前日より次第に風が強くなってきており、夜半には粉雪舞い13m/sの強風吹いていた。火災懸念される気候のため、消防ではポンプ車警戒のためサイレン鳴らして巡回させていたが、走り去ったすぐ後に火災発生した当日の気象状況以下の通り湿度 - 48気温 - 5 風向 - 西風、1時半から北西4時から西風 風速 - 13m/s、最大18m/s、突風 20m/s 火災の発見受けてただちに当時保有していた4台のポンプ車のうち3台(残る1台は東京修理出していた)が出動し、1台が火元消火あたった発見早かったことから一旦は消火しかかったものの、中途で130mほど東に離れた別の木工所の柾葺き屋根飛び火以降火の粉家々舐めるように横に拡がっていき、同時多発的に発火していった。出動した3台のポンプ車のうち別の1台も火に包囲され動けなくなり、火の回り速く2台のポンプ車では対処不能な状況となった午前2時を過ぎる頃には、秋田土崎五城目・船越鷹巣大館などから応援消防車15台が駆け付けたが、市外から来たため貯水槽の場所がよく分からなかったり、あるいはそもそも貯水槽周囲が火に巻かれて近づけなかったりしたため機能不全であった米代川の自然水利も全く使用することが出来なかった。午前2時40分には能代市警察署から最後電話通信送られ電話交換手退避して間もなく警察署焼失した午前3時過ぎて火勢はさらに東進し五能線越えて日吉神社営林署焼尽した。日吉神社では避難してきた市民家財運び込んできていたが、これらも軒並み焼失した火勢はさらに秋木下工場にも飛び火し駆けつけ職員工員たちにより必死消火試みられたが、午前4時頃にボイラー室配管焼けて消防機能を喪失した結果として火災当時能代市中心街基幹産業であった木材加工工場をほとんど焼き尽くし、また多く家屋焼失したが、渟城第二小学校前を防御線として破壊消防まで行ったことで、以南柳町畠町方面及び能代駅方面への延焼食い止められた。7時間近く亘って続いた火災は、午前7時になってようやく鎮火し、秋木工場の鎮火はやや遅れて午前8時頃である。

※この「第一次能代大火の概要」の解説は、「能代大火」の解説の一部です。
「第一次能代大火の概要」を含む「能代大火」の記事については、「能代大火」の概要を参照ください。

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