第一期陳水扁時代 (2000年 - 2004年)
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「総統民選期の中華民国」の記事における「第一期陳水扁時代 (2000年 - 2004年)」の解説
1990年代前半の李登輝総統時代に本格化した中華民国の民主化の結果、外省人に対する本省人の政治的地位が向上したこともあり、台湾では自らを「中国人」ではなく「台湾人」と認識する「台湾人意識」(台湾人としてのアイデンティティを持とうとする意識)が高まった。 台湾人意識とそれに伴う「本土化」(中華民国を台湾の政権と位置づける概念)により、2000年の総統選挙では「台湾人意識」を強調した陳水扁元台北市長(後に民主進歩党党首も兼務)が当選し台湾政治の本土化が進んだ。更に李登輝前総統らが中心となり推進された台湾正名運動及び台湾独立運動(台独運動)の活性化がこの時期認められる。 その一方で台湾独立に反対し、中華人民共和国との現状維持を主張する中国国民党(以下「国民党」)や親民党の野党勢力も外省人を中心に強く支持されており、国会に相当する立法院では与野党の勢力が均衡し政局運営が不安定となり、中国統一か台湾独立かで国論の二分化がより深化した。 混迷する政局中、陳水扁は公民投票(国民投票)により台湾の将来を決定する政策を発表、2003年6月建設中の原子力発電所の工事中止についての是非などを問う住民投票を行うと宣言した。これを受けた立法院は2003年11月27日、『公民投票法案』を審議採択した。 採決は全38条について逐条形式で行われた。最も注目されたのは法の適用範囲に関する条項であったが、この条項に関しては民進党案(国名、国旗、領土の変更も提議出来るとするもので独立色が強い)ではなく、国民党・親民党案(これらの問題に明言を避けるもの)が賛成多数で採択された。 このような台湾での政治行動に対し、「一つの中国」政策を堅持する中華人民共和国は台湾独立の動向を牽制することを目的に、「台湾独立には武力行使も辞さず」という態度をとっている。 2004年に実施された最初の公民投票は、中華人民共和国以外にも、中台関係の現状維持を望む日本・アメリカ合衆国・フランスが難色を示したこともあり、その投票内容は非常に曖昧なものとなった。また投票結果が結局法定の有効投票率50%未満で無効になっている。
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