競馬実況引退まで
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2005年頃から競馬中継でのGIレース実況は後進の局アナが中心となって登板し、GIレース当日は司会進行担当が多かった。それでもメインレースやGIのトライアルレースなどを、親子ほどの年が離れた後輩アナと共に実況していた。 65歳を過ぎてから、どの競馬場でも倍率7倍の双眼鏡で事足りていたのが、広い東京競馬場では馬が小さく見えてしまい、実況に不安を覚えた時から引退を意識したという(その対策として、東京競馬場では倍率を7倍から10倍の双眼鏡に変えて実況していた)。また、馬の名前を覚えるのは問題ないが、動き(レース)の中で馬名を言葉にするのがワンポイントずつ遅れてしまい、短距離レースだと4コーナーまでに18頭の馬名が全部言えなくなってしまったため、70歳を区切りに競馬実況から退く事を決めたと、引退後に刊行された『週刊現代』2008年8月9日号でのインタビューで語っている。 当初は70歳の誕生日を迎えた後の2007年度末(2008年3月末)を目途に競馬中継から離れるつもりだったが、当時の番組チーフから、この年(2008年)の6月1日に行われる第75回東京優駿(日本ダービー 優勝:ディープスカイ)を実況してほしいとの話があり、これを受けて競馬中継への出演が6月1日放送分まで延長された。くしくもその年は、彼自身が古希を迎えたのに加え、ラジオ日本開局50周年という節目の年でもあった。 この打診を受けた時、日本ダービーで競馬実況を引退するという花道を作ってもらいありがたかったが、緊張しやすい自分にはプレッシャーだったという旨のコメントを、2009年の競馬ラボ・日本ダービー特集でのインタビューで語っており、日本ダービー初実況の1976年(第43回・優勝:クライムカイザー)から32年、この年の日本ダービーが彼自身にとって最後の競馬実況であり、またその集大成でもあった。 こうして迎えた日本ダービー当日の東京競馬場・ラジオ日本の放送ブースには、このラスト実況に立ち会うべく沢山の関係者が集結。ファンファーレ直後の第一声は「今日の主役は18頭のサラブレッド。初夏の空の下、馬体が輝いて見えます」だった。スタート直後は1番人気・ディープスカイのスタートを伝え、圧巻だったのは最後の直線から声に力を入れたゴール前で、「交わした交わした! ディープスカイ優勝ー!!」と絶叫し、とても70歳とは思えない迫力のある実況だった。 ラジオ日本では樋口忠正競馬実況引退記念とラジオ日本開局50周年記念の特別企画として、『樋口忠正 私が選んだ 名馬 名勝負 ベスト10』(限定500枚)を2008年5月下旬から数カ月間、通信のみで販売していた。 その後、競輪実況については2010年3月の日本選手権競輪まで担当。さらにその2年後の2012年11月18日に福島競馬場で行われた「実況マスターズ」にて、第7レースの場内実況を担当した。
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