競馬実況引退までとは? わかりやすく解説

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競馬実況引退まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 06:46 UTC 版)

樋口忠正」の記事における「競馬実況引退まで」の解説

2005年頃から競馬中継でのGIレース実況後進局アナ中心となって登板しGIレース当日司会進行担当多かった。それでもメインレースやGIトライアルレースなどを、親子ほどの年が離れた後輩アナと共に実況していた。 65歳過ぎてから、どの競馬場でも倍率7倍の双眼鏡事足りていたのが、広い東京競馬場では馬が小さく見えてしまい、実況に不安を覚えた時から引退意識したという(その対策として、東京競馬場では倍率を7倍から10倍の双眼鏡変えて実況していた)。また、馬の名前を覚えるのは問題ないが、動きレース)の中で馬名言葉にするのがワンポイントずつ遅れてしまい、短距離レースだと4コーナーまでに18頭の馬名全部言えなくなってしまったため、70歳区切り競馬実況から退く事を決めたと、引退後刊行された『週刊現代2008年8月9日号でのインタビュー語っている。 当初70歳誕生日迎えた後の2007年度末(2008年3月末)を目途競馬中継から離れるつもりだったが、当時番組チーフから、この年2008年)の6月1日行われる第75回東京優駿日本ダービー 優勝ディープスカイ)を実況してほしいとの話があり、これを受けて競馬中継への出演6月1日放送分まで延長された。くしくもその年は、彼自身古希迎えたのに加えラジオ日本開局50周年という節目の年でもあった。 この打診受けた時、日本ダービー競馬実況引退するという花道作ってもらいありがたかったが、緊張しやすい自分にはプレッシャーだったという旨のコメントを、2009年競馬ラボ日本ダービー特集でのインタビュー語っており、日本ダービー実況1976年第43回優勝クライムカイザー)から32年この年日本ダービーが彼自身にとって最後競馬実況であり、またその集大成でもあった。 こうして迎えた日本ダービー当日東京競馬場ラジオ日本放送ブースには、このラスト実況立ち会うべく沢山の関係者集結ファンファーレ直後第一声は「今日主役18頭のサラブレッド初夏の空の下、馬体輝いて見えます」だった。スタート直後は1番人気・ディープスカイスタート伝え圧巻だったのは最後直線から声に力を入れたゴール前で、「交わした交わした! ディープスカイ優勝!!」と絶叫し、とても70歳とは思えない迫力のある実況だった。 ラジオ日本では樋口忠正競馬実況引退記念ラジオ日本開局50周年記念特別企画として、『樋口忠正 私が選んだ 名馬 名勝負 ベスト10』(限定500)を2008年5月下旬から数カ月間、通信のみで販売していた。 その後競輪実況については2010年3月日本選手権競輪まで担当。さらにその2年後の2012年11月18日福島競馬場行われた実況マスターズ」にて、第7レース場内実況担当した

※この「競馬実況引退まで」の解説は、「樋口忠正」の解説の一部です。
「競馬実況引退まで」を含む「樋口忠正」の記事については、「樋口忠正」の概要を参照ください。

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