競馬廃止へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 01:56 UTC 版)
1968年(昭和43年)、競馬法の改正により大阪府と岸和田市のみが競馬開催権を持つこととなったが、時の府知事・左藤義詮が公営競技廃止の方針を示し、岸和田市も明確な態度を示さなかったことから、大阪府では競馬廃止の方針を打ち出し、突然の開催停止に至った。これに対し、それまで競馬開催権を持っていた各市や競馬関係者より、急な競馬廃止は競馬関係者の生活権を奪い、かつ混乱を招くとして反対の声があがり、調整の結果、大阪府では競馬廃止を円滑に行うための資金確保などの措置として、1968年(昭和43年)から1970年(昭和45年)の3年間を限度として開催継続を決定した。 しかし当初の見積もりよりも売り上げの伸びが低かったことから、競馬廃止に伴う資金の確保が充分ではないとして、大阪府下の各市町村や競馬関係者が開催延長を要望したものの、大阪府からの明確な回答がないまま、1971年(昭和46年)3月に開催期限が終了した。その後も、引き続き競馬再開を求める前述の関係者と、競馬廃止を求める地元住民や市民団体との陳情合戦が続くなどの混乱が生じた末、廃止に伴う補償額が62億円で妥結したことから、1972年(昭和47年)から1973年(昭和48年)の2年間のみ競馬開催を行うことで大阪府が合意し、競馬は1年ぶりに再開された。 再開後は、折からの競馬ブームもあって順調な売り上げに推移し、補償額の確保が終了したことから、1974年(昭和49年)3月の開催を最後に廃止された。跡地は現在岸和田市中央公園となっている。公園南西側に一部トラックの跡が林として残っている(ゲートボール場「すぱーく岸和田」の周囲)。 春木競馬場は、売り上げが好調であるにもかかわらず廃止された競馬場として、特異な存在である。また、競馬廃止に伴う補償金を、自らの売上金で得ることができたことも特筆される。また、紀三井寺競馬とは人馬の交流があり、春木競馬の廃止が紀三井寺競馬にも影響を与え、のちの廃止に繋がったという見方もある。
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