竜神山信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 03:12 UTC 版)
「佐志能神社 (石岡市染谷)」の記事における「竜神山信仰」の解説
竜神山は、八郷盆地の東、恋瀬川左岸にある標高196メートル(三角点は北峰にある。採石以前は210メートルだった)の山で、染谷、村上、根小屋、下林に跨っている。別名を「村上山」や「雄竜山」という。 大日本地名辞書に(群郷考云)「山上に二大石ありて、龍門、君門と名つく、其下洞穴深さ測るべからず、龍神山の名ある由なるべし」とある。「龍門」と「君門」という巨石があり、これが塞ぐ穴が山中深くに達していることから、龍の住処とみなされたために、竜神山の山名が生じたという。龗神は「龍門」に、豊城入彦命又は日本武尊は「君門」に対応するとみることもできる。村上社の境内には鳥居を構えた登山口がある。 竜神山は、龍神(水神)の住む山として信仰されてきた。 上古は、竜神山からの豊かな湧水が宮平遺跡を支えたという。 近世の民話では、村上村は固い地盤に覆われ、井戸が掘れないため、枯渇することのない村上社にある御手洗池が「雨乞いの池」として神聖視された。池の水もまた近隣の農村から「雨乞いの霊水」として尊ばれた。『石岡誌』に(村上社)「雨を掌る神なりと唱ひ、旱天には降雨を祈願するもの陸続隊をなすと云ふ」、『新治郡郷土史』に(染谷社)「殊に旱魃の際は団体にて雨乞の爲め参詣者頂背相接し神符霊水を拝受し田畑に注ぐときは霊験立どころに願はるるといふ」、『新編常陸国誌』に(村上社)「今世もし炎旱のことあれば、土人これを祈るに験あをざることなしと云」等とあり、雨乞いの霊験により近郷に知られていた。 染谷社には「屏風岩」があり、慈雨をもたらす雷雲が「風神の穴」から立ち上るという伝承がある。 新治郡郷土史に、慈雨をもたらす一方、暴風雨除けの神徳もあり、そのため染谷村上には古来から落雷降雹がないという伝承が記されている。 正徳3年(1722年)の古文書の添付地図に「右側の谷に男龍、左側の谷には女龍」 と記されており、竜神山には雌雄の「龍の谷」が存在していた。これは祭神に投影され、今日では高龗神は女神(陰龍神、女龍)、闇龗神は男神(陽龍神、男龍)と、一般的な陰陽とは逆の対応で認識されている。 昭和30年代まではなだらかな山稜をしており、「大岩巨石磊々として其半腹に群がり懸り、頗神異の観を呈す」 と描かれたが、現在は東西を横断するように山が砕石によって抉られ、峰が南北に割られている。特に東西から眺めた場合に、痛々しい山容となっている。染谷社と村上社は採石場の入口を挟み込むような配置になっており、山中で行き来することはできない。
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