秋山成勲との関係
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2006年大晦日のK-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!のメインイベントで、秋山成勲が桜庭和志に行った反則に対する批判(秋山成勲#試合での反則行為の指摘#総合格闘技を参照)を鎮めるために奔走。しかしながら、二転三転する言い訳に世論の非難が高まり、最終的に反則の一部を認め、秋山に対して無期限出場停止の裁定を下すことで沈静化を図った。 その後、秋山復帰のために奔走し、無期限出場停止の裁定から10か月後には秋山の母国である韓国での復帰戦を用意した。 2007年大晦日の興行やれんのか! 大晦日! 2007に派遣した秋山成勲が三崎和雄にKO負けすると、勝者である三崎に対し反則を行ったと抗議し、「(元韓国人だった秋山を支持している)韓国ファンが怒っているから、三崎はソウルスタジアムで10万人の韓国人に囲まれた状態で秋山と再戦するべき。」と見解を述べた。当該試合は、2008年1月22日に無効試合と変更された。 「やれんのかは1度限りのイベントで、再戦を約束するものではない」(島田裕二ルール・ディレクター)という興行であるが、谷川は秋山のために再戦の場を設けない関係者を批判し、2008年1月23日の記者会見では「秋山vs三崎戦は2試合行う約束をやれんのか!サイドと交わしており、勝手に戦極と契約した三崎はモラルに欠ける」「大きな試合にはリマッチがつきもの。その自覚がない三崎選手はファンとか他の選手とかに失礼。チャンピオン失格です。」と発言した。 2008年12月11日のDynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜に関する記者会見で、欠場を希望した秋山について「これ以上、交渉するつもりはないです」と発言した。対戦相手として10名ほどの選手を挙げて交渉したにもかかわらず合意に至らず、加えて秋山が希望するファイトマネーがK-1最高水準に達したことにより、FEGサイドとの関係も悪化し、「残念としかいえない。格闘技を盛り上げないといけない時期に非常に残念です」と秋山を批判。その後も専門誌等で、秋山とは距離を置く旨の発言をした。 2009年3月5日、秋山がDREAMを離脱しUFCに移籍。韓国で行われた会見で「強い相手との対戦を望んだのに、マッチメイクを実現してくれなかった。弱い相手と対決することを望むならDREAMに残っただろう」と谷川を批判した。しかし、秋山は自伝にて「総合ルールでジェロム・レ・バンナとのリベンジ戦か、バダ・ハリとの対戦を希望した」と明かしており、K-1ファイターであるバンナとハリは秋山が主戦場とする総合格闘技ルールの経験は浅く、ハリに至っては総合ルールで勝ったことが一度も無いため、客観的に見て強豪とは言えない。また、谷川は格闘技専門誌等で「こちらはミルコ・クロコップや青木真也辺りと対戦してほしいとオファーしたが、秋山くんは自分よりも2階級も下で総合ルールの経験が一度も無い魔裟斗とK-1と総合のMIXルールで対戦したいと言ったり、高額なファイトマネーを要求したり、“強い相手と戦いたいからマッチメイク権を譲渡しろ”などと無理難題な要求をしてきた」と発言している。
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