秋山徳蔵・上野精養軒説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:46 UTC 版)
「ハヤシライス」の記事における「秋山徳蔵・上野精養軒説」の解説
元宮内庁大膳課の料理人である渡辺誠は、食文化研究家の小菅桂子の著書において、宮内省大膳寮初代厨司長(戦後は宮内庁大膳課主厨長)であった秋山徳蔵が考案した宮内省版ハヤシライスが元祖であると主張した。秋山の料理は東欧料理のグヤーシュをベースとして創作されたもので、これが上野精養軒のコックであった「林」に伝わり、「ハヤシライス」という名で世に広まったという説である。しかしながら、秋山が宮内省に入省したのは1913年のことであり、それより前の1907年3月10日付の朝日新聞に、東京神田の岡島商店の『固形ハヤシライスの種』という商品の広告がすでに掲載されていたことから、この説には信憑性がない。
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