秋山定輔と宮崎龍介とは? わかりやすく解説

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秋山定輔と宮崎龍介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 08:28 UTC 版)

宮崎工作」の記事における「秋山定輔と宮崎龍介」の解説

1937年7月19日宮崎龍介は、父同様かつて孫文1925年死去)との親交深かった人物で、当時政界黒幕みなされていた旧知秋山定輔より電話呼び出された。麹町秋山宅に行くと、宮崎秋山より中国へ赴き戦争をやめるよう中国国民党蔣介石協議すること、あるいは国民党ナンバー2汪兆銘日本に連れてくることを指示され、これについては「近公(内閣総理大臣近衛文麿)が責任をもつ」と告げられた。当初は「すぐに南京行って蔣介石連れて来い」との命令だった。何のためにかと宮崎が問うと、秋山は「判りきっているじゃないか日本外道懺悔だ。これを蔣君に聞いてもらうんだ。蔣君は聞く耳を持っているはずだ」と述べた秋山近衛首相から、中国との和平工作特使として宮崎派遣するよう依頼されていたのであった宮崎抗日総司令蔣介石敵国に連れてくるなど、とても無理だと断ると、「汪兆銘ではどうだ」と迫られ早速に向かうよう急き立てられた。目的果たせかどうか成算もないまま、宮崎中華民国大使館蔣介石への問い合わせ依頼した宮崎は、駐日大使館付高級武官蕭叔宣通じ蔣介石より「南京来れば会う」との返答得たまた、蔣からの返電には上海まで迎えを出すとも申し添えてあったので、宮崎神戸港から上海へ汽船長崎丸」を手配した

※この「秋山定輔と宮崎龍介」の解説は、「宮崎工作」の解説の一部です。
「秋山定輔と宮崎龍介」を含む「宮崎工作」の記事については、「宮崎工作」の概要を参照ください。

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