福澤諭吉旧居とは? わかりやすく解説

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福沢諭吉旧居

名称: 福沢諭吉旧居
ふりがな ふくざわゆきちきゅうきょ
種別 史跡
種別2:
都道府県 大分県
市区町村 中津市留守居町
管理団体
指定年月日 1971.06.22(昭和46.06.22)
指定基準 史8
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S46-5-121福沢諭吉旧居.txt: 福沢諭吉が、嘉永2年頃から安政2年まで居住し、さらに明治3年江戸に発つまで数回帰郷して住いした家である。
 旧居は、縦地割りの南寄り木造草葺き平屋建て母屋で、6畳2間と8畳・4畳半を中心としてなっている。また母屋の北には、木造瓦葺き2階建ての土蔵がある。
 指定するところは、この旧居宅跡とこれに道を隔てた隣りにある嘉永2年以前住んだ家の跡であるが、これらの遺構は、諭吉思想をはぐくんだ場であって著名な啓蒙思想家住いした所として重要であるばかりでなく、武家屋敷遺例としても貴重なものといえる。
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福澤諭吉旧居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 05:33 UTC 版)

福澤諭吉旧居(ふくざわゆきちきゅうきょ)は、福澤諭吉が幼少年期を過ごした大分県中津市にある旧居である。国史跡。記念館併設。

福澤諭吉旧居

概要

1835年(天保5年)大坂(現大阪市)の中津藩蔵屋敷で生まれた福澤諭吉は、1歳6か月の時、父の死去により帰藩し、19歳までこの場所で過ごした。 諭吉は、近くに家塾を開いた中津藩儒官白石照山に師事して儒学を学んでいたが、兄の薦めで蘭学を学ぶために長崎へ旅立った。

現存する家は16歳の時に買って移り住んだもので、母屋の他、自らが改造して二階を勉学に使った土蔵が残っている。幼少の頃の家はすぐ前の土地にあった。諭吉は、幼少の頃の家の間取り図を自ら描いて、忘れないようにしようとした。

1971年6月22日に国の史跡になった。現在、隣に福澤記念館を建て「学問のすすめ」の原本や遺品などを展示している。

所在地

  • 大分県中津市留守居町586番地  (JR中津駅より徒歩15分)

隣地に白石照山記念碑や、レストハウスがあり、近くには中津城(扇城)や合元寺などの寺院が集中している寺町がある。

入館料

  • 高校生以上 - 400円
  • 中学生以下 - 200円

開館時間

  • 9:00~17:00

関連項目

外部リンク

座標: 北緯33度36分26.3秒 東経131度11分27.5秒 / 北緯33.607306度 東経131.190972度 / 33.607306; 131.190972



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