慶應義塾大学俳句研究会とは? わかりやすく解説

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慶應義塾大学俳句研究会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 05:22 UTC 版)

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慶應義塾大学俳句研究会(けいおうぎじゅくだいがくはいくけんきゅうかい)は、楠本憲吉、大島民郎、清崎敏郎が中心となり昭和21年(1948年)設立。会誌『慶大俳句』を発刊(2009年まで第92号)。現指導者は、俳句雑誌『夏潮』を主宰し、日本伝統俳句協会会員、俳人協会幹事、俳文学会会員を務める本井英。

略歴

前史は明治33年(1900年)設立の『慶應義塾俳句会』。会員には正岡子規に連なる、『俳諧雑誌』編集者の籾山梓月(吉村江戸庵)、山本卯花、川上零余子、高田紅雪、富吉豊吉、八木都子、阿倍照葉、本塚犬童、岡本癖三酔、河本白雨、富田木歩が集い、明治36年までに『三田俳句会』(みたはいくかい)と名称を変えた。

久保田傘雨(万太郎)、上田梨葉を幹事に迎え、ホトトギス同人の岡本松浜松根東洋城、原月舟、原石鼎を迎えるなど豪華であった。明治41年には一時衰退したが、吉村椿花(上川井梨葉)、大場白水郎見學玄渡辺水巴の応援などで復興した。

久保田万太郎を囲む『いとう句会』が発足すると、久米正雄高田保徳川夢声渋沢秀雄川口松太郎堀内敬三森岩雄佐佐木茂索宮田重雄内田誠秦豊吉五所平之助小島政二郎伊志井寛小絲源太郎鴨下晁湖、槇金一、寺田栄一、西村晋一、三溝又三が名を連ねて参加し、『加比丹』『春燈』なども発刊した。

また渡辺白泉のように、「京大俳句」に参加し新興俳句運動に投じた者も居た。

主な出身者

関連項目

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参考文献




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