慶應義塾大学亜細亜研究所とは? わかりやすく解説

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慶應義塾大学亜細亜研究所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 00:37 UTC 版)

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慶應義塾大学亜細亜研究所(けいおうぎじゅくだいがくあじあけんきゅうしょ)は、1943年(昭和18年)7月に慶應義塾大学が設立した研究所。

概要

国家戦略としてアジア研究が求められていた情勢下で、設立された研究所。施設は、現在の慶應義塾女子高等学校の敷地にあった綱町研究所(旧徳川達孝伯爵邸)が充てられ、また資金として、藤山愛一郎などからの寄附金、およそ二百万円を擁していたばかりでなく、義塾が昭和19年に募集を開始した資金により年20万円の研究拡充費を支給されることになっていた。所長は小泉信三、副所長は常任理事。顧問や参与として川合貞一林毅陸北島多一板倉卓造高橋誠一郎野村兼太郎西脇順三郎などが名を連ねた。研究と教育を担う所員および研究調査を行う研究員の多くは、義塾教員との兼担者であり、文化部(思想、文化政策、言語、土俗など)、民族部(民族運動、民族政策など)、法政部(法制、外交、植民地行政など)、経済部、資源部、厚生部(医事、衛生、福利施設など)に分かれて、個別研究ばかりでなく共同研究を進めることを目指した。また、学部および高等部より募集した研究生を対象に教育・研究指導を行うことも事業とした。

同研究所は、学徒出陣や思想統制という戦時下の困難な状況に対して、研究教育の機能を繋ぐ役割を果たしたが、昭和20年5月の空襲により施設の大半が焼失し、21年3月に廃止された。機関紙『亜細亜研究』全12号ならびに『亜細亜業書』2冊を遺している。

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