福岡航空交通管制部以前とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 福岡航空交通管制部以前の意味・解説 

福岡航空交通管制部以前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 15:20 UTC 版)

福岡航空交通管制部」の記事における「福岡航空交通管制部以前」の解説

1954年昭和29年駐留米軍により運用されていた Fukuoka Control は 135.9MHz、137.88MHz、6740kHz、3105kHz(すべてA3)を使用していた。他に121.5MHz、8280kHz、8364kHz(遭難および緊急通信用)。 1955年昭和30年11月米軍第1955管制通信中隊運営福岡ARTCCに(板付芦屋築城岩国管轄飛行場)、日本人管制官7名がOJTのため着任福岡ARTCCは板付飛行場東側地区設置1956年昭和31年福岡ARTCCが廃止され ARTCC は東京のみとなる。代わって板付ラプコン板付飛行場西側新設された。日本人管制官増員された。 1957年昭和32年駐留米軍により運用されていた航空路管制は 135.9MHz を使用してコールサインは Itazuke Radio使用してた。他に121.5MHz(遭難および緊急通信用)。板付飛行場進入管制コールサインは Itazuke Approach Control で 137.88MHz、135.9MHz を使用していた。 1959年昭和34年福岡空港事務所管制課が設置される1959年昭和34年駐留米軍により運用されていた航空路管制は 135.9MHz を使用してコールサインは Itazuke Radio運用されていた。他に121.5MHz(遭難および緊急通信用)。板付飛行場進入管制コールサインは Itazuke Approach Control で 135.9MHz を使用していた。航空路管制進入管制区分けはあるものの同一周波数運用されていた。 1961年昭和36年9月米軍が行っていた北九州及び中国地方一部エンルート業務を、米軍代わり日本側で実施するため、航空交通管制本部長から福岡空港事務所長へ当該管制空域委任が行われた。ラプコン内に福岡地区管制所設置され米軍同居する形で日本人管制官業務開始1965年昭和40年5月運輸省設置法改正により、福岡航空保安事務所下部機構として福岡空港事務所福岡管制所設置され管制所組織制度化された。 1966年昭和41年3月5日福岡市和白町奈多当時)に庁舎移転前夜米軍管制隊とのお別れパーティー春日原米軍キャンプ開催された。奇しくもカナダ太平洋航空羽田空港着陸失敗事故の晩であり、翌日移転初日にはBOAC富士山麓墜落事故発生した本省からの参加者急遽帰京することになった当時管制官総数27名。

※この「福岡航空交通管制部以前」の解説は、「福岡航空交通管制部」の解説の一部です。
「福岡航空交通管制部以前」を含む「福岡航空交通管制部」の記事については、「福岡航空交通管制部」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「福岡航空交通管制部以前」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「福岡航空交通管制部以前」の関連用語

福岡航空交通管制部以前のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



福岡航空交通管制部以前のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの福岡航空交通管制部 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS