福岡藩主・黒田氏とは? わかりやすく解説

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福岡藩主・黒田氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 08:17 UTC 版)

黒田氏」の記事における「福岡藩主・黒田氏」の解説

この黒田氏は、元々は武蔵七党一つ丹党末裔である中山氏出身である。中山氏戦国時代後北条氏仕え後北条氏滅亡した後には、中山照守らが徳川氏属し、ある一族旗本となり、また別の一族水戸藩附家老となった近江国出身徳川家康仕えた黒田直綱勲功挙げた二十代半ば若くして没し、これに近藤用勝の六男黒田用綱養子として家名存続させた。上野館林藩主徳綱吉(のち5代将軍となる)の付家老として配属され3,000石を領した用綱には実子がいたが、養子として外孫に当たる直邦(中山照守曾孫)を迎えた。直邦は儒学者荻生徂徠弟子でもあり、のちには名君呼ばれその人格も高く評価された。時の将軍綱吉にも気に入られ、舘林藩幕府再吸収された際幕府直臣となり、小納戸役小姓務め1700年元禄13年1万石を領して黒田家大名列したその後奏者番寺社奉行兼任するなどし、1703年元禄16年常陸下館藩1万5,000石となり、次いで上野沼藩主25,000石、さらに加増受けて3万石領主となる。1742年寛保2年)、直邦の養子の直純のとき上総久留里藩3万石転封となった。藩財政には苦しみながらも、以降久留里藩主として明治まで存続する。なお上述の福岡藩主黒田氏とは酒井家通じ血脈受け継いでいる。 明治維新後、黒田家子爵に列せられた。菩提寺中山氏と同じ、埼玉県飯能市飯能能仁寺

※この「福岡藩主・黒田氏」の解説は、「黒田氏」の解説の一部です。
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