社会的なテーマの句
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)
一茶は若いころから国学に傾倒しており、日本びいきであった。一茶の日本びいきは一面では古典学習に見せた情熱へと繋がったが、その一方でロシア人が修交を求めて来航し、対外関係の緊張が感じられるようになると日本びいきはより強化され、日本を神国と称え、ロシアを貶める句を詠むようになった。 けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ 北のシベリア、つまりロシアから渡って来た雁に対して、「今日からは日本の雁だぞ、(安全な日本で)楽な気持ちで寝なさいな」と、ある意味、自国意識丸出して雁に呼び掛けた。 また、一茶は 桜さく大日本ぞ日本ぞ のような、日本を称える句を晩年まで詠み続ける。 日本びいきの一茶にとって、日本は平和で繁栄し続けなければならなかった。平和で繁栄した社会を詠む句は、文政年間中期まで比較的多く見られる。しかし当時の日本は、実際には社会の矛盾が深まり、多くの農民、都市生活者たちはその日の生活に苦しみ、一揆や打ちこわしが頻発する社会不安が増大した時代であった。文化10年(1813年)、善光寺門前で打ちこわしが起きた年には とく暮れよことしのやうな悪どしは と、早く打ちこわしが起きたような悪い年が終わってくれないかと詠んだ。 また一茶はしばしば「世直し」を句に詠み込むようになった。 世が直るなほるとどでかい蛍かな 世が直る、直るといって大きな蛍が飛んでいくという句であるが、世直しが成就して、大きな蛍が闇夜を照らすように明るい世の中になって欲しいとの一茶の願望が込められていると考えられる。またこの句は連句の中の句であり、連句の参加者から続けて、「下手のはなしの夜はすずしい」との句が付けられている。一茶は「世直しが起きるぞ!世の中が変わるぞ!!」と、下手な政治談議のようなことをよく話していた可能性がある。 一茶はまた、当時、幕藩体制における支配者であった大名などを批判する句を詠んでいる。 づぶ濡れの大名を見る炬燵かな 北国街道は加賀藩などの参勤交代のルートであった。この句は折からの雨で濡れ鼠になった大名行列をぬくぬくと炬燵に入りながら眺めている情景であり、一茶は冷たい雨の中でも隊列を組み、参勤交代の務めを果たさねばならない大名のことを皮肉っている。 しかし一茶は基本的には平均的な庶民感覚の持ち主であり、権力や権威への反感を思想化したり行動化することは無かった。一茶は閉塞感が強まりつつある社会の中で、なによりも己自身に執着してもっぱら自らの周りの世界に関心を深め、様々な句を詠んでいった。
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