社会復帰センター開設とは? わかりやすく解説

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社会復帰センター開設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 21:45 UTC 版)

サンパウロ日伯援護協会」の記事における「社会復帰センター開設」の解説

1973年度から援協実費診療所精神科設けられたが、週一回定期診療では対処できず、入退院を繰り返す患者専用施設建設提案されるようになった同年最大サンパウロ州精神病院のジュケリー病院入院患者整理実施し、3,000人前後の比較軽症患者退院処分受けたその結果同病院に入院していた日系患者相当数退院させられ、いつ病状悪化するとも知れず援協頼って来るようになった。翌74年10月にはカーザブランカ精神病院から援協入院患者引き受け日本帰国への協力要請された。この依頼引き受けたのを機に援協日系精神疾患者の実態調査しサンパウロ州36におよぶ精神病院には日系患者426名も入院していることが判明した。彼らの多く退院して引き取り人も行く宛てもない状態であったまた、施設外で家族保護下にある精神障害者加えればその人数は数倍にのぼると推定され日系人口の約0.4%に達すると見込まれた。 1975年援協複数土地寄贈があり、精神障害者社会復帰センター建設期待されたが、中沢援協会長は一民間団体取り組むには大きすぎる事業とし、慎重論唱えた同年4月中沢援協会長ブラジル日本文化協会への就任要請があり、これ受諾する同時に援協会長辞任した暫定的に竹中正副会長会長代行務めることになった。そして、翌5月第16回定期総会行われた会長選で竹中正は三代目援協会長選ばれた。竹中新体制精神科患者対策中核事業進めることを決議した1975年8月23日福田赳夫副総理サンパウロ訪問し日系社会事情説明会受けた。この時、竹中援協会長は「リハビリテーション・センター建設」への援助要請し日本政府からの援助確約を得ることに成功した同年内に援協建設予算運営予算図面等の必要書類総領事館通じて外務省へ送付し1976年日本政府予算提出予算のほぼ全額3240万円)が計上され下付されることになったサンパウロ市近郊グアルーリョス市内精神障害者社会復帰センター建設予定地選定された。この土地寄贈もしくは破格の値で援協売却されたものであった。そして1976年5月8日定礎が行なわれ、これを機に一般から愛称募集したところ、162件の応募があり、その中から「やすらぎホーム」の名称が選ばれた。 1977年3月19日やすらぎホーム完成した。僅か10ヶ月という短い工事期間であったが、当時の高いインフレ建設資材高騰し建設費当初予算280クルゼイロ上回り最終的に320クルゼイロ達した完成時敷地面積は6万2,000平方メートル建物面積906平方メートル定員50名(男子療棟9室33名、女子療棟5室17名)であった初代センター長には佐藤敦夫が就任した

※この「社会復帰センター開設」の解説は、「サンパウロ日伯援護協会」の解説の一部です。
「社会復帰センター開設」を含む「サンパウロ日伯援護協会」の記事については、「サンパウロ日伯援護協会」の概要を参照ください。

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