社会学的な概念規定と説明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:05 UTC 版)
社会学においては、フェルディナント・テンニースが、友情を「精神の共同体」というカテゴリを設けてそれに分類している。また、友情の中での社会的な態度について、二・三の学問的な研究もある。親友同士は、単なる知り合いの人間よりも互いに争いごとになることが多い。心理学者や社会学者はその理由を、親友は単なる知り合いよりもお互い信頼し合っているし、何かを主張するにも無用心に腹蔵なく話してしまう。加えて頻繁に接触する機会も多いし、葛藤の生まれる場面も多くなるという点に見ている。 ゲオルグ・ジンメルは、『友情の社会学』の中で、友情をさまざまに分化した友情として語っている。アリストテレスに反対して、彼は友情を段階的な違いを持った現象と見る。彼にとって友情は、2人の人間が知り合いになるという瞬間に始まる。つまり、2人は自分たちの相対置する実存について知る。ここを基盤として、人は相手の「領域」に侵入していく。一方で、その進入の深さと広がりは人がどれだけ自分をさらけ出すことができるかに係わっている。他方では、友情の限界というものもある。つまり、相手はこの限界は単純には踏み越えることが出来ない。適切ではないかもしれないが、例を挙げれば、サッカーファン仲間はサッカーを話題にするが、その相手に離婚相談をいきなり持ちかけるとしたら、それはやはりお門違いということになるといった類である。 ジンメルは、こうした限界の彼方にあるものを「予備」と名づけている。これは肯定的意味と否定的意味がない交ぜになったものである。一方で人は何かを犠牲にすることはないものの、他方では友情のためにと献身的に尽くしもする。また、日常的な付き合いの中でもこの限界は踏み越えられないとしたら、友情は別のものへと拡大し、深められるという可能性が出てくる。 ジンメルは、友情の特別の例を結婚に見ている。これは、結婚がその性格を変えてきたということと関連している。モンテーニュにあっては、結婚はひとつの取引であったが、近代においては結婚はむしろ愛情によって特徴付けられている。ゆえに結婚がひとつの愛情関係であるとすれば、そこには友情的な要素が働いている。ジンメルは、結婚を直ちに配偶者への自己開示という風には理解しないように警告している。彼は結婚の価値を、友情が一歩ずつ自発的に深まっていくその過程の中に見ようとする。価値があるのは、人がまだ配偶者には伝えたくない、伝えられないと思っているようなこと、2つに分け隔てられていることである。加えて、人が多くの事柄について詳細を承知していないこと、それを自分からは話せないでいること、話すつもりがないこともあるだろう。この自己への関係の中での「盲点」、これが完全な自己開示にさらされることのない、結婚の潜在的な幻滅なのではないだろうかと彼は言う。
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