磐之媛命
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磐之媛命(いわのひめのみこと、生年不詳 - 仁徳天皇35年6月)は、古墳時代の皇妃。『日本書紀』では磐之媛、『古事記』では石之日売、その他、いはのひめ、磐姫とも記す[1]。仁徳天皇の4人の后妃、2人の皇后のうちのひとり[2]。仁徳天皇2年に立后。葛城襲津彦の娘で、武内宿禰の孫にあたり、皇族外の身分から皇后となった初例とされる[1]。孝元天皇の男系来孫(古事記では玄孫)。仁徳天皇の男御子5人のうちの4人(履中天皇・住吉仲皇子・反正天皇・允恭天皇)の母[2]。記紀によるととても嫉妬深く、仁徳天皇30年に、彼女が熊野に遊びに出た隙に夫の仁徳天皇が八田皇女(仁徳の異母妹。磐之媛命崩御後、仁徳天皇の皇后)を宮中に入れたことに激怒し、山城の筒城宮(現在の京都府京田辺市多々羅付近[3])に移り、同地で没した。
- ^ a b 磐之媛/石之日売 イワノヒメKotobank
- ^ a b c d e f 大久間喜一郎「仁徳天皇記の構想」『明治大学教養論集』第418号、明治大学教養論集刊行会、2007年3月、83-99頁、ISSN 03896005、NAID 120001969947。
- ^ 筒城宮伝承地(つつきのみやでんしょうち)京田辺市観光協会
- ^ 劉佩宜、「中日両国古代における離婚及び嫉妬について」 『修平人文社會學報』 2008 p.169-194
- ^ とよのあかり豊の宴Toyonoakari万葉神事語辞典、國學院大学デジタルミュージアム
- ^ a b 藤澤友祥「石之日賣命の嫉妬:「嫉妬」による排除」『国文学研究』第161巻、早稲田大学国文学会、2010年6月、1-10頁、ISSN 03898636、NAID 120005482067。
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