后妃の身位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:43 UTC 版)
詳細は「後宮」、「后位」、「妃」、「夫人」、および「品位 (位階)」を参照 養老律令の後宮職員令(ごくしきいんりょう)において、 妃条:妃二員/右四品以上。夫人条:夫人三員/右三位以上。嬪条:嬪四員/右五位以上。 とされ、皇后よりも下位にあたる、天皇の妻それぞれの定員と身分が示された。(皇后を除く)最上位の妃は、内親王に与えられる四品以上の品位が必要であった。しかし、天平元年(729年)、第45代聖武天皇の夫人であった藤原氏の安宿媛が、「皇太子の母」であったことや、仁徳天皇の后磐之媛命を根拠として、史上初めて臣下から皇后に冊立され、早くも律令が形骸化した。 平安時代、後宮職員令が国風に改編されて後宮が発展し、女官制度が確立された。 明治維新後、後宮もまた改革された。明治元年(1868年)12月に一条美子が皇后に冊立されると、女官は皇后に奉仕する立場となった。女官には貴族(華族)だけでなく武家(士族)からも登用されるようになり、また多くの女官が罷免されたが、上位から尚侍(欠員)・典侍・権典侍・掌侍・権掌侍は華族の未婚者・単身者とされた。実際に、明治天皇の皇子女を産んだのは、権典侍の女性たちであった。 先述の通り、次代の大正天皇、昭和天皇は一夫一妻制の確立を推進し、後宮も終焉を迎えた。
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