石山寺多宝塔柱絵とは? わかりやすく解説

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石山寺多宝塔柱絵

主名称: 石山寺多宝塔柱絵
指定番号 1977
枝番 0
指定年月日 2000.06.27(平成12.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 4本
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  優美な外観親しまれている石山寺多宝塔は、現在国建造物指定されている。初重中央の須弥壇上框しゅみだんうわがまちの裏側に、建久五年(一一九四)と思われる墨書銘があり、本尊木造大日如来坐像平成十年度に重要文化財指定受けたところである。その多宝塔内部四天柱には、創建当初の作と思われる尊像群および文様描かれている。尊像当初五四体が描かれていたとみられるが、顔料甚だし剥落のために、現状では二十余体の尊像名が確認できるのみである。
 尊像内訳は、大日如来はじめとする金剛界五仏四波羅蜜菩薩しはらみつぼさつ】、さらに、剥落により判然としないが、十六大菩薩、四摂菩薩ししょうぼさつ】などを描くと推察され、全体金剛界三十七尊を中心に構成しているとみられる。本柱絵特徴的なのは、これに五大明王描き加えている点で、さらにこれらの五大明王坐像で表す点も珍しい特徴といえる。これらの尊像を、東西南北方位守って描いている。
 五大明王は、大威徳明王図像天台密教影響認められるが、概ね東密系の図像拠るのである軍荼利明王降三世明王金剛夜叉明王坐像である点も珍しく注目されるなかでも降三世明王は、毛氈座【もうせんざ】上の大自在天だいじざいてん】と烏摩妃【うまひ】の上坐すという特徴的な図像である。
 建久年間石山寺には、図像教学通じた文泉房朗澄(一一三一-一二〇九年)が住しており、本柱絵尊像構成図像については、朗澄の指導になる可能性指摘されている。また柱絵金剛界三十七尊を描く事例としては、長承元年一一三二高野山大伝法院柱絵三十七尊印字形、久寿二年(一一五五)の詫摩為遠による覚皇四天柱三十七尊の例などが文献より知られる
 本柱絵作風は、特に四波羅蜜菩薩顔貌表現などに、理知的な表情なかにも優美な院政期仏画名残り見出される。また明王像については、例えば本柱絵金剛夜叉明王東北第一段)は、坐像であることを除けば平安時代一二世紀の作とされる京都醍醐寺金剛夜叉明王像(重文)の表情姿態共通する特徴認められる。すなわち本柱絵は、平安から鎌倉に至る過渡期仏画の高い水準を示すものであり、多宝塔創建期の作風をよくとどめる貴重な遺品である。



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