知識人たちの1968年とは? わかりやすく解説

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知識人たちの1968年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:33 UTC 版)

五月危機」の記事における「知識人たちの1968年」の解説

ジャン・ポール・サルトル戦後フランス代表する哲学者左翼だが、ソヴィエト政権批判的だったサルトル五月革命熱烈に支持した革命運動のリーダー、ベンディットとインタヴューもしている。サルトルキューバにも訪れカストロチェ・ゲバラ知っており、学生革命肯定的だったアンドレ・マルロー保守派反ファシズム文学者1968年当時文化大臣だったマルロー同時にレジスタンス時代知り合ったド・ゴール大統領の熱心な支持者でもあった。マルロー忠誠心5月30日の「ドゴール支持」のデモへとつづく。終生つうじてその熱い忠誠思いはかわることはなかった。 ジャン・リュック・ゴダールヌーベルバーグ新しい波)の映画監督。すこしづつ政治的なモチーフ関心を示すようになったゴダールは、五月革命先だつ1967年に「中国女」というマオイズム的な映画つくった。この映画ナンテール校の生徒たちに強い影響与えた実際五月革命ゴダールイメージ充満していた。ちょうど五月に開催予定だったカンヌ国際映画祭対しトリュフォーポランスキーらと祭の中止要求した認められず、彼らの作品の上映はなくなったカンヌ映画祭粉砕事件)。 ルイ・アルチュセールマルクス主義哲学者アンチスターリニスト思想面で大きな影響五月革命与えたとされるアルチュセール生徒たち青年共産主義マルクスレーニン連盟(UJC(ml))を結成革命中、大学ストリート活発に活動する。 ギ―・ドゥボール=左派系の詩人映像作家著述家。ドゥボールもまた五月革命に強い影響与えた一人だった。彼はその著書スペクタクルの社会」(1967)のなかで、新し市民社会スペクタクル光景ショー化する商品通じて人間疎外をうむことを指摘した商品の語る真実っぽさスペクタクル)に囲まれ個人そのもの商品のなかに解消されてしまう。このようなスペクタクルリアル境界線引きすることが難し状況消費社会なのであり、それは新しい「状況」をつくることによって批判されなくてはならない(「状況主義」)。ドゥボールの提示したテーゼ68年経ていま現在コンピューター情報社会鋭く言いあらわしている。

※この「知識人たちの1968年」の解説は、「五月危機」の解説の一部です。
「知識人たちの1968年」を含む「五月危機」の記事については、「五月危機」の概要を参照ください。

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