知識人のプライドと失業と反ユダヤ主義
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「ヨーゼフ・ゲッベルス」の記事における「知識人のプライドと失業と反ユダヤ主義」の解説
1922年に博士号を取得し大学を離れたが、職が見つからず、一時ライトの両親の家に戻ることとなった。その後、ドレスナー銀行のケルン支店にようやく仕事を見つけたが、不況によりわずか9か月で解雇されている。この銀行に勤務していた頃に1923年の大インフレを経験しており、ドイツ経済の惨状を目の当たりにした。ゲッベルス自身もますます貧困に苦しむこととなった。彼は反資本主義の思想を持つようになり、これが高じて反ユダヤ主義の思想を徐々に芽生えさせた。資本主義経済を牛耳る「国際金融ユダヤ人」に対して「生存のための戦い」を挑む以外に「より良い世界」への道は開けないというユダヤ陰謀論を唱え始めるようになった。 家族への恥ずかしさのあまり、リストラ後もしばらくケルンへ通うふりをしている。しかしやがて路頭に迷って家族に失業を打ち明けるしかなくなった。失業中は少年時代の頃のように再び部屋にこもりがちになった。家族からは「貧しい家計をやりくりして勉強させてやったのに」と白眼視された。 彼は、新聞社のジャーナリストか放送局の文芸部員に再就職しようとしたが、いずれの会社からも採用を拒否された。この時、彼の採用を拒否した会社の中にはユダヤ系企業もあった。彼の目には知識人である自分に生活の糧を与えようとしないこの世界は「ユダヤ化されている」と映り、ユダヤ人への憎しみを強めることとなった。 恋人のエルゼもこの時期からゲッベルスの反ユダヤ主義の高まりを感じるようになった。ゲッベルスは彼女に「ユダヤ人がドイツの文学を支配しているので、せっかく骨を折って書き上げた傑作も突き返される」「ユダヤ人でなければ、文壇にも、劇壇にも、映画界にも、ジャーナリズムの世界にも入れないようになっている」といった愚痴をよく聞かせるようになったという。 ゲッベルスの日記には次のような焦燥が書かれている。「この居候生活の惨めなこと。僕にはふさわしくないこんな生活をどうしたら終わらせることができるのか。それを考えると頭が痛い。何一つ成功してくれない。いや成功することが許されないのだ。贔屓と経歴だけが物を言うこの世界で数のうちに入れてもらうためには、自分の意見とか、信念を主張する勇気とか、個性とか、性格と言われる物を真っ先に全部捨てなければならないのだから。僕はまだ何者でもない。大いなるゼロだ。」
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