真野古墳群
名称: | 真野古墳群 |
ふりがな: | まのこふんぐん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 福島県 |
市区町村: | 南相馬市 |
管理団体: | 南相馬市(昭56・6・17) |
指定年月日: | 1979.10.24(昭和54.10.24) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S52-12-025真野古墳群.txt: 福島県浜通りの北部、真野川の南岸の台地上に営まれている真野古墳群は、寺内地区にある約80基の古墳と、その西方約1キロメートルの小池地区の20基の古墳から成っている。 戦前から大規模な古墳群として知られ、計27基が調査・報告されている。この古墳群は、現状径10メートル前後の小円墳が主体をなすが、全長30メートル程の前方後円墳2基、大型の円墳2基も含まれている。それらの内部構造としては礫槨、箱式石棺、竪穴式状石室等があり、変化に富んでいる。出土品としては、直刀・馬具・玉類が多く、古墳時代後期に属するものが多いが、一部に石製模造品を出土するものもあり、若干中期に遡るものも存在する。また馬鐸や金銅製双魚佩を出土する例もある。 この古墳群は、前方後円墳と円墳多数により形成される後期の古墳群のあり方の地域的一典型として、また東北地方における大規模かつ著名な古墳群として、出土品ともども注目される重要なものである。 |
真野古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/24 06:15 UTC 版)
真野古墳群(まのこふんぐん)は、福島県南相馬市鹿島区寺内・小池に所在する前方後円墳と多数の小円墳で構成される大規模古墳群である。別称としては、真野古墳群A地区(八幡林・大谷地古墳群)と真野古墳群B地区(小池原古墳群)とがある。1979年(昭和54年)10月24日に国の史跡に指定された。
概要
南相馬市鹿島区を流れる真野川南岸の河岸段丘上に多数の小規模円墳が群集している。古墳群が立地しているところは寺内字八幡林・大谷地地区と小池字長沼地区であり、広さは東西3キロメートル、南北1キロメートルである。かつては八幡林古墳群、大谷地古墳群、小池原古墳群と呼ばれていたが、史跡指定にあたって、別称のように仮称し、両地区で真野古墳群の名が付けられた。
本古墳群の築造年代は、発掘された古墳から5世紀から6世紀と考えられている。
広く知られている古墳には、A地区49号墳(寺内49号墳)と20号墳(寺内20号墳)がある。
規模・形状
本古墳群は、大正末期に学界に報告され、1945年(昭和20年)に発掘調査された。史跡指定に先立ち1974年(昭和49年)、1975年(昭和50年)、当時の鹿島町教委の確認調査で現存する墳丘はA地区で24基、半壊状のもの11基、B地区では現存10基、半壊状5基を確認した。これらが点状に史跡指定されている。
本古墳群は、ほとんどが直径10メートル前後の小型円墳で構成され、小型前方後円墳2基を含んでいる。中でも49号墳は墳丘の径21メートルの円墳であり、また、20号墳は墳丘長28.5メートルで、周濠を持つ小型前方後円墳である。
副葬品・埋葬施設
内部主体は礫槨、変形竪穴式石室、箱式石棺、横穴式石室である。49号墳の礫槨内から斧、鎌、槽などの優れた石製模造品が出土している。20号墳のくびれ部に横穴式石室を模して造られたと推測される礫槨から直刀、鉄剣、馬具のほか金銅装双魚佩が一双出土している。
脚注
参考文献
- 玉川一郎 「真野古墳群」『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』 文化庁文化財保護部史跡研究会監修、同朋舎出版、1991年。ISBN 978-4-8104-0925-3。
関連項目
外部リンク
座標: 北緯37度41分49.7秒 東経140度57分7.2秒 / 北緯37.697139度 東経140.952000度
固有名詞の分類
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