方保田東原遺跡
名称: | 方保田東原遺跡 |
ふりがな: | かとうだひがしばるいせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 熊本県 |
市区町村: | 山鹿市方保田 |
管理団体: | 山鹿市 |
指定年月日: | 1985.02.19(昭和60.02.19) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 平成18.07.28 |
解説文: | 方保田東原遺跡は、熊本県の北部、菊池川中流域の標高35mの台地上に所在する、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての集落跡である。昭和55年に起こった宅地造成計画に伴い、山鹿市教育委員会が確認調査を実施したところ、少なくとも東西330m、南北300mに及ぶ環濠集落跡であることが判明した。出土遺物としては、多数の土器のほか、鉄鏃・刀子・手鎌・鉄斧などの鉄製品、巴形銅器・銅鏃・小型仿製鏡などの銅製品がある。弥生時代から古墳時代にかけての社会を知る上で重要であることから、史跡に指定した。 |
方保田東原遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/18 23:23 UTC 版)
方保田東原遺跡(かとうだひがしばるいせき)は、熊本県山鹿市にある弥生時代後期から古墳時代前期のものと考えられる遺跡である[1]。
1985年(昭和60年)2月、国の史跡に指定された[2]。2006年(平成18年)7月に追加指定され[2]、約11haが指定範囲となった。
概要
方保田東原遺跡は、熊本県北部の菊池川とその支流の方保田川に挟まれた標高35mの台地上に広がる弥生時代後期から古墳時代前期に繁栄した大集落遺跡である[1]。約11haが史跡指定地で、遺跡の推定範囲は約35haの規模を誇る熊本県最大級の集落遺跡である[1]。
調査の結果、幅8mの大溝をはじめとする多数の溝や100を超える住居跡、土器や鉄器を製作したと考えられる遺構が見つかっている[1]。また、全国で唯一の石包丁形鉄器や特殊な祭器である巴形銅器など数多くの青銅製品や鉄製品、山陰地方や近畿地方など西日本各地から持ち込まれた土器なども出土している[1]。
主な出土品
所在地
山鹿市方保田(かとうだ)字東原(ひがしばる)、塚の本[1]
交通
国道3号から県道198号へ。日置交差点を西へ(県道301号)。交差点から約300m。[1]
脚注
出典
関連項目
外部リンク
座標: 北緯32度59分53.4秒 東経130度43分4.2秒 / 北緯32.998167度 東経130.717833度
固有名詞の分類
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