県の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:44 UTC 版)
括弧書きは藩府県庁所在地の現所属市町村 1868年5月11日(慶応4年=明治元年旧暦4月19日):新潟奉行所に代えて新潟裁判所を設置 1868年5月16日(慶応4年旧暦4月24日):佐渡奉行所に代えて佐渡裁判所を設置 1868年7月18日(慶応4年旧暦5月29日:越後国に越後府(第1次、上越市高田 ⇒ 柏崎市)を設置 1868年9月13日(慶応4年旧暦7月27日):越後府から柏崎県(第1次、柏崎市)を分離 1868年10月17日(慶応4年旧暦9月2日):佐渡裁判所に代えて佐渡県(佐渡市旧真野町)を設置 1868年11月5日(明治元年旧暦9月21日):越後府を新潟府(柏崎市 ⇒ 長岡市 ⇒ 新潟市)に改称 1868年12月18日(明治元年旧暦11月5日):柏崎県を新潟府に合併(布達のみで実行されず)、佐渡県を新潟府の当分管轄とする(事実上の編入) 1869年3月20日(明治2年旧暦2月8日):新潟府から越後府(第2次、阿賀野市旧水原町)を分離再置 1869年4月3日(明治2年旧暦2月22日):新潟府を新潟県(第1次)と改称。柏崎県の廃止と越後府への合併を再度布達。佐渡県は越後府の当分管轄とする。 1869年6月13日(明治2年旧暦5月4日):岩代国に若松県(会津若松市)を設置、蒲原郡のうち旧会津藩領(現東蒲原郡)を管轄 1869年7月25日(明治2年旧暦6月17日):版籍奉還 - 8月1日( 旧暦6月24日)までに越後国内では以下の10藩の藩主(諸侯)が知藩事に任命された 村上藩(村上市)、黒川藩(胎内市旧黒川村)、三日市藩(新発田市三日市)、新発田藩(新発田市)、村松藩(五泉市旧村松町)、三根山藩(新潟市旧巻町)、長岡藩(長岡市)、与板藩(長岡市旧与板町)、椎谷藩(柏崎市椎谷)、高田藩(上越市高田)、清崎藩(糸魚川市) 1869年8月27日(明治2年旧暦7月20日):越後府による当分管轄を解除し、佐渡県(佐渡市旧相川町)を再置 1869年9月3日(明治2年旧暦7月27日):越後府と新潟県を合併し、水原県(阿賀野市旧水原町)を設置 1869年9月30日(明治2年旧暦8月25日):水原県から柏崎県(第2次、柏崎市)を分離 1870年4月7日(明治3年旧暦3月7日):水原県を廃し、新潟県(第2次、新潟市)を設置 1870年11月15日(明治3年旧暦10月22日):長岡藩を廃し、柏崎県に編入 1870年11月22日(明治3年旧暦10月29日):三根山藩を峰岡藩(新潟市旧巻町)に改称 1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日):廃藩置県 - 旧藩から県に替わったものも含めて現新潟県域には以下の各県が設置された 村上県、三日市県、黒川県、新発田県、村松県、峰岡県、新潟県、柏崎県、与板県、椎谷県、高田県、清崎県、佐渡県蒲原郡のうち旧会津藩領の区域は引き続き若松県の一部 1871年12月31日(明治4年旧暦11月20日):府県統合により以下の3県を設置新潟県(第3次、新潟市):下越2郡(蒲原郡・岩船郡) - 村上県、三日市県、黒川県、新発田県、村松県、峰岡県、新潟県を統合 柏崎県(第3次、柏崎市):上・中越5郡(頸城郡・刈羽郡・魚沼郡・三島郡・古志郡) - 与板県、椎谷県、高田県、清崎県、柏崎県を統合 相川県(佐渡市旧相川町):佐渡県を改称 1873年(明治6年)6月10日:柏崎県を廃し、新潟県に合併 1876年(明治9年)4月18日:相川県を廃し、新潟県に合併(1876年(明治9年)8月21日:若松県を廃し、磐前県とともに福島県に合併) 1886年(明治19年)5月25日:福島県から東蒲原郡を新潟県へ移管 新潟県の成立 現在の新潟県は、日米修好通商条約によって開港場に指定された新潟を管内に抱え、また戊辰戦争の主戦場の1つになったことから、その成立までの変遷は他府県にも増して複雑なものだった。1870年(明治3年)の新潟県(第2次)成立までの変遷は「越後府」および「柏崎県」の項を参照のこと。 1870年4月7日(明治3年旧暦3月7日)、越後国のうち新潟を含む下越2郡(蒲原郡・岩船郡)内の政府直轄地を管轄していた水原県が廃止され、県庁が新潟に移されることで新潟県(第2次)が成立した。**当時、現県域には新潟県のほか、上・中越5郡(頸城郡・刈羽郡・魚沼郡・三島郡・古志郡)内の政府直轄地を管轄する柏崎県、佐渡国全域を管轄する佐渡県、および県域内に藩庁を置く10藩によって分割支配されていた。さらに、蒲原郡のうち旧会津藩領の区域は若松県の管轄下に置かれていた。 1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の廃藩置県を経て、同年12月31日(旧暦11月20日)に行われた府県再編で下越2郡の旧藩5県が新潟県と、上・中越5郡の旧藩4県(長岡藩は既に柏崎県に編入されていた)が柏崎県と合併して、それぞれ新潟県(第3次)、柏崎県(第3次)となり、また佐渡県は相川県と改称された。 1873年(明治6年)に柏崎県が、1876年(明治9年)に相川県がそれぞれ廃止されて相次いで新潟県に合併されて、越佐両国を新潟県が統一して管轄することとなった。 1886年(明治19年)、若松県を経て福島県の管轄となっていた蒲原郡の一部(1878年(明治11年)から東蒲原郡)が新潟県に移管されたことにより、現在の新潟県の県域が確定した。
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