県の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:51 UTC 版)
県の制度が始まったのは春秋時代に遡る。当時の県は辺境の地に設けられていた。秦・晋・魏などの大国は新たに併合した地方の古来の邑の自治権を廃し、替わって県とした。春秋後期になると県制度は内地にまで及ぶこととなり、代わって辺境へは郡が設けられるようになった。郡の面積は県よりも広く、人口は希薄で、地位は県よりも低かった。戦国時代になると、郡が発展していくと同時にその下へ県を設けるようになった。こうして始皇帝による統一で郡県制が確立し、全国36郡の下に県を設けた。隋・唐以後は県は府、州(郡)、あるいは郡、監、庁に隷属が変わっていった。 秦朝時、郡が県を管轄。 漢朝時、郡、国が県を管轄。 漢朝以後、それぞれの時期、それぞれの地方あるいは同一の管轄域で行政区画制度が異なり、郡・府・州あるいは軍・監・庁が管轄。 国民政府時、初めは道の所轄、その後道制を廃止して省(特別行政区)の直轄。その後行政督察区、直轄市あるいは特別行政区の管轄。 1949年以後、行政督察区の名称の変更に伴い、専区(行政督察専区)、地区あるいは地級行政区の管轄。
※この「県の歴史」の解説は、「県」の解説の一部です。
「県の歴史」を含む「県」の記事については、「県」の概要を参照ください。
- 県の歴史のページへのリンク