相互への好意的発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 09:42 UTC 版)
「オスマン帝国の対プロテスタント政策」の記事における「相互への好意的発言」の解説
マルティン・ルターは、偶像崇拝を禁止する点で、イスラムとプロテスタントの類似性に気づいているが、イスラムは偶像崇拝を拒否することにより徹底していることも記している。『トルコに対する戦争』のなかで、ルターは、「反キリスト」と批評した教皇や、「悪魔の生まれ変わり」と書いたユダヤ人を鋭く批判しているが、トルコ人に対してはそれに比べると穏やかな批判しかしていない。彼は、また、同時代の人々にトルコ人に良い点を見いだすように促しているし、トルコに好意的な人々の意見を引き合いに出し、「我々ドイツ(ゲルマン)人が野蛮で非文明的であると考えており(たしかにかれらの半数は悪魔であり、半数は人間である)、それゆえにトルコに来てもらって支配してもらうことを望んでいる人」に言及している。 オスマン帝国も、カトリックよりもプロテスタントにより近く感じていた。ある時、スレイマン大帝から、フランドルのルター派に手紙が送られた。中で、彼らに親近感を持つことを述べ、その理由として、「なぜならば、偶像崇拝をせず、唯一の神を信じ、教皇と皇帝に対して戦いを続けていたからである」としている。 宗教的に似ているという考えはまた、イギリスのエリザベス1世とムラト3世の間に交わされた書翰にも見られる。ある書翰の中で、ムラト3世は、イスラムとプロテスタントは、「両者は、カトリックと比較すると、より共通している。というのは、どちらも偶像崇拝を拒否しているからである」としたため、イギリスとオスマン帝国との軍事同盟を議論している。 ムラト3世は、1574年に、スペインとフランドルにいるルター派に宛てて書かれた手紙の中で、イスラムとプロテスタントの教義間の共通点に焦点を当てようと相当な努力をしている。以下のように記述している。 「あなた方は、偶像を崇拝せず、偶像や肖像画、さらに教会の鐘を廃棄している。信仰を告白するとき、「万能の神はお一人であり、聖なるイエスはその預言者であり、召使いである」から始め、心から真実なる信仰を求めている。しかし、教皇と呼ばれる信仰無き者は、創造者がお一人であることを認めず、神性を聖なるイエスに帰している(彼に平安を)。さらに、人自らの手でなした偶像や絵画を崇拝して、お一人なる神に疑いを生じさせ、なんと多くの人々を誤った道に導いてしまったのであろうか。」 —1574年、ムラト3世の手紙:「スペインとフランドルのルター派の人々へ」 このような要求は、オスマン帝国が宗教的に同じ土台をつくるようにしたために、政治的にも触発され、政治的同盟を保証する道にもなった。エリザベス1世は、オスマン帝国との違いを小さく見せるように彼女自身彼女の宗教的レトリックを適合させ、関係を促進するように努めた。ムラト3世への手紙の中で、彼女の宗教は一神教の特性と、反偶像主義にあることを強調している。手紙の中で次のように記している。 「唯一なる天と地の創造者である全知全能の神の祝福を受けたるものであり、イングランド、フランス、アイルランドの女王であり、キリスト教徒の中で誤ってキリストの名を公言する無価値な偶像崇拝者たちに対する無敵でもっとも強力なキリスト信仰を守る者であるエリザベス」 —エリザベス1世からムラト3世への手紙:
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