白赤白旗とは? わかりやすく解説

白赤白旗(ロシア帝国・ソ連への独立・抵抗の証)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 08:30 UTC 版)

ベラルーシの国旗」の記事における「白赤白旗(ロシア帝国ソ連への独立抵抗の証)」の解説

1918年ベラルーシ共和国領土は現東ベラルーシ)の成立後からボリシェヴィキ滅ぼされる以前と、1991年9月19日から1995年6月5日までの間使用された国旗のデザインは、1918年3月から12月まで存在したベラルーシ人民共和国使用していた国旗だった。 旗のデザイン1917年より前に考案されたとされ、このデザインベラルーシ人の間で"byel-chyrvona-byely s'tsyah"(ベラルーシ語: Бел-чырвона-белы сьцяг、「白赤白旗」)として知られている。 赤色白色伝統的にリトアニア大公国ポーランド・リトアニア共和国国家紋章使われた色である。これらの色は赤い背景の上に白い騎士描かれたパゴーニャ(en:Pahonia)に由来するもので、パゴーニャはベラルーシ土地伝統的な紋章あり、かつてはベラルーシの国章にも描かれていた。国旗起源説明する説は他にいくつか存在し、その一つ白ルーシ英語版)という国家の名前を暗喩したデザインだと説明している。 東ベラルーシ占領から亡命政府樹立 1918年ボリシェヴィキに東ベラルーシ占領されるベラルーシ人民共和国亡命政府国外設立された。1919年-1925年までベラルーシ人民共和国流亡政府2022年時点存続)の旗として、旧来の旗に黒線加わった旗が使用され1925年以降から黒線が無いものに戻された。 ポーランド第二共和国滅亡による西ベラルーシ占領以降 1921年から1939年までの間、白赤白旗はポーランド第二共和国領有していた西ベラルーシ英語版)でのベラルーシ人民族運動使われたほか、ベラルーシ農民労働者連合とベラルーシ・キリスト教民主主義英語版のような政治団体ベラルーシ学校協会などの非政治団体使用していた。また、リトアニア共和国ベラルーシ別大隊でも白赤白旗が使用された。1939年ポーランド侵攻と西ベラルーシ白ロシア・ソビエト社会主義共和国への併合の後、新たに白ロシア編入されたこれらの地域でもソビエト政権によって白赤白旗の使用禁止された。1941年ベラルーシ占領したナチス・ドイツは白赤白旗の使用認め、旗はドイツ陸軍武装親衛隊ベラルーシ人志願兵腕章採用されたほか、1943年から1944年にかけて存在したドイツ政権ベラルーシ中央ラーダ英語版)も使用していた。第二次世界大戦の終結後、白赤白旗は西側諸国ベラルーシ人移民ベラルーシ内部反ソビエト政権掲げ小規模集団によって使用された。1980年代後半入りベラルーシ民族再生民主主義への変化象徴としてこの旗が再び使用されるうになる1991年ベラルーシ共和国独立した後、ベラルーシ人民戦線党(英語版)の提案によって白赤白旗はベラルーシの国旗定められた。

※この「白赤白旗(ロシア帝国・ソ連への独立・抵抗の証)」の解説は、「ベラルーシの国旗」の解説の一部です。
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