白赤白旗(ロシア帝国・ソ連への独立・抵抗の証)
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「ベラルーシの国旗」の記事における「白赤白旗(ロシア帝国・ソ連への独立・抵抗の証)」の解説
1918年のベラルーシ共和国(領土は現東ベラルーシ)の成立後からボリシェヴィキに滅ぼされる以前と、1991年9月19日から1995年6月5日までの間使用された国旗のデザインは、1918年3月から12月まで存在したベラルーシ人民共和国が使用していた国旗だった。 旗のデザインは1917年より前に考案されたとされ、このデザインはベラルーシ人の間で"byel-chyrvona-byely s'tsyah"(ベラルーシ語: Бел-чырвона-белы сьцяг、「白赤白旗」)として知られている。 赤色と白色は伝統的にリトアニア大公国とポーランド・リトアニア共和国の国家の紋章に使われた色である。これらの色は赤い背景の上に白い騎士が描かれたパゴーニャ(en:Pahonia)に由来するもので、パゴーニャはベラルーシの土地の伝統的な紋章であり、かつてはベラルーシの国章にも描かれていた。国旗の起源を説明する説は他にいくつか存在し、その一つは白ルーシ(英語版)という国家の名前を暗喩したデザインだと説明している。 東ベラルーシの占領から亡命政府樹立 1918年にボリシェヴィキに東ベラルーシが占領されるとベラルーシ人民共和国の亡命政府が国外に設立された。1919年-1925年までベラルーシ人民共和国流亡政府(2022年時点も存続)の旗として、旧来の旗に黒線が加わった旗が使用され、1925年以降から黒線が無いものに戻された。 ポーランド第二共和国滅亡による西ベラルーシ占領以降 1921年から1939年までの間、白赤白旗はポーランド第二共和国が領有していた西ベラルーシ(英語版)でのベラルーシ人の民族運動で使われたほか、ベラルーシ農民労働者連合とベラルーシ・キリスト教民主主義(英語版)のような政治団体、ベラルーシ学校協会などの非政治団体が使用していた。また、リトアニア共和国のベラルーシ特別大隊でも白赤白旗が使用された。1939年のポーランド侵攻と西ベラルーシの白ロシア・ソビエト社会主義共和国への併合の後、新たに白ロシアに編入されたこれらの地域でもソビエト政権によって白赤白旗の使用が禁止された。1941年にベラルーシを占領したナチス・ドイツは白赤白旗の使用を認め、旗はドイツ陸軍と武装親衛隊のベラルーシ人志願兵の腕章に採用されたほか、1943年から1944年にかけて存在した親ドイツ政権のベラルーシ中央ラーダ(英語版)も使用していた。第二次世界大戦の終結後、白赤白旗は西側諸国のベラルーシ人移民、ベラルーシ内部の反ソビエト政権を掲げる小規模の集団によって使用された。1980年代後半に入り、ベラルーシの民族再生と民主主義への変化の象徴としてこの旗が再び使用されるようになる。1991年にベラルーシ共和国が独立した後、ベラルーシ人民戦線党(英語版)の提案によって白赤白旗はベラルーシの国旗に定められた。
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