異国よりの王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:31 UTC 版)
ヒッタイトの史料によると、とある時、エジプトで王が死に、未亡人となった王妃ダハムンズ(英語版)はヒッタイト王シュッピルリウマ1世に書簡を送り、王子の一人をエジプト王として迎え入れたいと申し出たとのことである。この書簡を送った人物がアンケセナーメンであると考える説があるが、ネフェルティティではないかと、ダハムンズは主張している。以下に、王妃ダハムンズをアンケセナーメンとする説に従って記述する。 私の夫は死に、私には息子がありません。噂では、あなたは多くの子息をもっているといいます。もしあなたが子息の一人を送って下さるなら、私は彼を夫にします。私は臣下の一人を夫に選びたくはないのです。 — アンケセナーメン?の書簡、吉村(1984) これに対して、シュッピルリウマ1世の息子ムルシリ2世が以下のような記録を残している。 私の父は手紙を読んですぐに、高官会議を召集した。父は未だかつてこのようなことは起こったことがないと言い、侍従のハットゥ・ジッティシュに《エジプトへ行って信ずるに足る報告をもたらせ。 彼らは私を騙そうとしているのかも知れない。そして、もし彼らが王子を待っているようなら、それを信じられるだけの報告をするように》と命じた。ハットゥ・ジッティシュが派遣された後、エジプトの使者ハニス卿がエジプト王妃の手紙を持ってやってきた。王妃は父の疑惑に対して次のように答えていた。《なぜあなたは、私があなたを騙そうとしているなどと言うのですか。もし私に息子があるなら、私と私の国の恥をさらしてまで外国に手紙を送るでしょうか。あなたは私を信用していない。 私の夫だった人は死んだのです。私には息子がありません。私は召使いの一人を選んで夫にしなければならないのです。私は他のどんな国にも手紙を書かず、あなただけに書いたのです。あなたは多くの子息をもっていると聞きました。子息の一人を私に与えて下さい。彼は私の夫となり、エジプト国の王となるでしょう》私の父は寛大だったので、貴婦人の言葉に同意して息子を送ることを決意した — ムルシリ2世の記録、吉村(1984) シュッピルリウマ1世は、息子である王子ザンナンザをエジプトに送ったが、王子はツタンカーメンの死後70日を過ぎてもエジプトに到着せず、このとき王子は、既に何者かによって暗殺されていた。暗殺を命じた人物は諸説あるが、王子には護衛が付いているため、盗賊に殺されるとは考えにくく、軍隊を動かすことのできる人物だろう点から、アイかホルエムヘブ説が出て来るが、吉村やハワスは、ホルエムヘブだとする。 アイは長期にわたり王家に使え続けた忠臣であるだけでなく、王家の遠縁にあたる人物である。吉村(1984)によると、彼は性格が穏やかであったと言われており、ツタンカーメン死後も葬儀をつかさどるなどの権力と影響力を持っていた。王妃にすぎないアンケセナーメンがアイに知られずに密かに書簡を送るなどのことはできなかったはずであり、彼女は高い確率でアイにこのことを相談した可能性がある。さらにこの時、ホルエムヘブは王位を狙っていたともいわれ、そこに賢明だったアイが気付かないはずはなく、彼はエジプトの血筋を守りたかったと考えられるため、アンケセナーメンを助ける方向に動いた可能性が高い。よって、アイが暗殺するとはきわめて薄いと考えられる。ホルエムヘブは非常に厳格であり、野心家で目的のためなら手段を選ばず、その過激な行動のためにアクエンアテンの怒りを買ったという記録も残っている。ここから、アイとホルエムヘブの性格を考察すると、王子ザンナンザを暗殺したのはホルエムヘブであろうと、吉村は推論する。
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