異国への関心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:41 UTC 版)
イエズス会の献上した地球儀・時計など、西洋の科学技術に関心を持った。フロイスから目覚まし時計を献上された際は、興味を持ったものの、扱いや修理が難しかろうという理由で返したという。信長が西洋科学に関心を持っていたことは信長自身の書状からもわかり、病気の松井友閑の治療のためにイエズス会の医師を派遣させている。 信長は宣教師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノに安土城を描いた屏風絵(狩野永徳作「安土城図」)を贈っており、この屏風絵は、信長死後の1585年(天正13年)にローマ教皇グレゴリウス13世に献上されている。ただし、この屏風贈呈は、信長の個性に起因するものというより、中国の皇帝に対して行われていたような異国への屏風絵贈呈の伝統に基づくものであると考えられる。また、ヴァリニャーノの使用人であったアフリカ(現・モザンビーク)出身の黒人に興味を示して譲り受け、「弥助」と名付けて側近にしたことも知られる。 南蛮とは別に、中国に対する強い憧れを有していたという説もある。宮上茂隆は、安土城建築のあり方から信長の中国趣味が伺えると主張しているという。信長の中国への強い関心のため、安土城天守閣の多くの部分では唐様建築が採用されたといい、また、信長の建てた摠見寺は中国の山水画の画題・瀟湘八景のうち「遠時晩鐘」を現したものであるともいう。ただし、谷口克広は、信長が中国への憧れを持っていたという説は根拠不十分であると述べている。
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