画家としての経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 06:23 UTC 版)
ドニは1870年11月25日、フランスのノルマンディー地方の海岸の町、マンシュ県グランヴィルで生まれた。画家になってからも、聖書から採った題材と並んで海と海岸線を好んで絵の主題としている。ドニが15歳の時、「そうだ、僕がクリスチャンの画家になること、キリスト教徒のあらゆる奇跡を賞賛することが必要だ。それが必要なことだと感じる。」と書いている。ドニ家は富裕な家庭で、ドニはエコール・デ・ボザールとアカデミー・ジュリアンの両方に通っている。そこでフランス人人物画家・理論家のジュール・ジョゼフ・ルフェーブルに学んだ。 ドニはアカデミーでポール・セリュジエ、ピエール・ボナールら、将来のナビ派のメンバーとなる画家仲間と出会った。また、ボナールを通じて、これもナビ派のメンバーとなるエドゥアール・ヴュイヤール、ケル・グザヴィエ・ルーセルとも出会った。1890年、彼らはナビ派を結成した。「ナビ」とは預言者のヘブライ語であり、自分たちが新しい表現の形を作り出すという意思の表れだった。1890年代末までにグループは分裂したが、ボナールやヴュイヤールの作品には後まで影響を残し、グループ外のアンリ・マティスなどにも影響を与えた。 ナビ派分裂後、ドニは宗教的な主題と壁画に傾倒するようになる。1922年にはそれまでに発表した論文をまとめ、『現代美術と宗教美術に関する新理論』と題する本を出版した。 後期の作品には、風景画や特に母子の人物画などもある。しかし、ドニの主要な関心は宗教的な主題に向けられ、そのことは1931年に国際クリスチャン労働組合連盟の発注を受けてジュネーブのセンター・ウィリアム・ラッパルトの階段に飾られた『労働の尊厳』にも見られる。
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