日本画家としての経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 07:27 UTC 版)
米沢藩絵師・目賀田雲川に学び、上京して鍛冶橋狩野に入門し狩野派を学び、大和絵、南画なども描いた。1875年、狩野探美らと古書画鑑賞会を興す。1879年、龍池会の結成に参加。1882年、第1回内国絵画共進会で審査員となり、1883年、パリ第1回日本美術縦覧会に「葡萄ニ栗鼠図」を出品。1887年、龍池会が日本美術協会と改称し、1888年に開催した第1回新古美術展覧会の審査委員長となる。1898年に結成された日本画会の名誉会員となる。1904年、セントルイス万国博覧会で金牌を受賞。1907年、文展開設に際して、それに対抗して正統同志会を結成し第1回展の審査長を務めるなど、伝統絵画の保存を重視する旧派の指導者であった。
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