日本留学と2.8 独立宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:59 UTC 版)
「金尚徳」の記事における「日本留学と2.8 独立宣言」の解説
1917年 3月の儆新中学校卒業後には専門教育を受けるために、同年日本に渡った。当時家で留学費用を捻出できなかったため、母校を通じて知り合ったキリスト教系列の支援を貰って留学した。日本東京で正則英語学校を経て、1917年早稲田大学政経学部へ進学、留学生と民族運動の方案を用意しようと努力した。 しかし、1918年7月に日本で水の暴騰が起きて、生活が苦しくなり、仕方なく大学を中退し、生活費を稼がざるを得なかったと言う。 1919年1月6日、東京で朝鮮留学生学友会が主催した雄弁大会に参加した。この日行事は留学生が集まって独立運動展開方法を論議し、尙德は独立宣言書作成と発送のための実行委員に選定されて金度演・白寬洙・崔八鎔など朝鮮人留学生とともに朝鮮青年独立団を結成した。1919年 2月2・8独立宣言に参加した。2・8独立宣言関連、日本に逮捕・拘禁されてから 1920年2月出獄した。
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