甲賀郡中惣遺跡群とは? わかりやすく解説

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甲賀郡中惣遺跡群

名称: 甲賀郡中惣遺跡群
ふりがな こうが(か)ぐんちゅうそういせきぐん
種別 史跡
種別2:
都道府県 滋賀県
市区町村 甲賀市
管理団体
指定年月日 2008.07.28(平成20.07.28)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成21.07.23
解説文: 甲賀郡中惣遺跡群は、戦国時代甲賀土豪地侍という小領主による平的連合によって甲賀郡一帯形成され自治組織に関する遺跡群であり、滋賀県湖南地域の旧甲賀郡域に属す甲賀市から湖南市にかけての丘陵部所在する甲賀郡一帯郡中惣形成されたのは、織田信長近江侵攻という軍事的緊張背景に、概ね永禄年間頃と考えられている。甲賀武士近江守護六角氏軍事的主力として活躍したが、元亀元年(1570)野洲川戦いで敗北信長配下入ったその後羽柴秀吉兵農分離により改易され、郡中惣終焉迎えた甲賀では、郡中惣構成した土豪地侍によって、一辺50m四方粘土層を利用した高く厚い土塁囲んだ単郭方形型を基本とする城館狭隘な谷々に数多く築かれ、さらに典型的な単郭方形型を進歩させた形態城館築かれた。今回甲賀市甲南町域の新治地区所在する寺前城跡村雨城跡・新宮城跡・新宮支城跡・竹中城跡指定して保護を図る。
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甲賀郡中惣遺跡群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 15:03 UTC 版)

甲賀郡中惣」の記事における「甲賀郡中惣遺跡群」の解説

惣領家庶子家同等立場であることから、庶子家でも城郭建てることができた。また、突出した規模の城が作られることはなく、ほぼ同一規模構造を持つ城郭構えていた。 その構造一辺3-50mの方形単郭構造小規模なものだが、その周囲土塁は高さ8m達す巨大なものもあった。これは戦国時代山城としては最大級のものであり、平的には小規模だ立体的に小規模ではなかった。 2008年平成20年)、滋賀県の旧甲賀郡域に属す甲賀市から湖南市にかけての丘陵部所在する甲賀郡中惣に関する遺跡群のうち、甲賀市甲南町新治地域に残る城跡寺前城跡村雨城跡・新宮城跡・新宮支城跡・竹中城跡)が国の史跡「甲賀郡中惣遺跡群」に指定された。 2009年平成21年)、油日神社境内矢川神社境内が「甲賀郡中惣遺跡群」に追加指定された。

※この「甲賀郡中惣遺跡群」の解説は、「甲賀郡中惣」の解説の一部です。
「甲賀郡中惣遺跡群」を含む「甲賀郡中惣」の記事については、「甲賀郡中惣」の概要を参照ください。

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