現代文学における妲己のお百
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「妲己のお百」の記事における「現代文学における妲己のお百」の解説
「妲己のお百」の物語は明治10年代に起きた毒婦ブームによって、さまざまな出版物を通じて国民的な知名度を得た。 夏目漱石の『坊つちやん』(1906年)では、坊っちゃんが宿の老婆にマドンナの素性を聞く場面で妲己のお百が出てくる。「渾名(あだな)の付いてる女にゃ昔から碌(ろく)なものは居ませんからね」という坊っちゃんに老婆は「ほん当にそうじゃなもし。鬼神のお松じゃの、妲妃のお百じゃのてて怖い女が居りましたなもし」と返答する。夏目漱石は「私は芝居というものに余り親しみがない」と書いているので、講談からヒントを得た可能性が高い。 江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』(1925年)では、主人公の郷田三郎は友人の紹介で素人探偵の明智小五郎と知り合い、「犯罪」に興味を持つようになる。郷田は浅草公園で、戯れに壁に白墨で矢印を描き込んだり、意味もなく尾行してみたり、暗号文をベンチに置いてみたり、また労働者や乞食、学生に変装してみたりしたが、ことさら女装が気に入って、女の姿できわどい悪戯をするなど、「犯罪の真似事」を楽しみ始めた。この女装によって郷田は「服装による一種の錯覚から、さも自分が妲妃のお百だとか蟒蛇お由だとかいう毒婦にでもなった気持で、色々な男達を自由自在に飜弄する有様を想像しては、喜んでいる」という場面で妲妃のお百が出てくる。 坂口安吾の『竹藪の家』(1931年)では主人公の樅原駄夫が居候する宿の主人野越与里が作品冒頭で妻の野越総江を「チェッ、悪女め、ぬかしやがつた。てめえこそ妲妃のお百だあ。出て行きやがれ!」と罵倒する場面で出てくる。 海音寺潮五郎はここまで悪女として悪く言われるお百に同情し、お百は単に不幸な女性であったに過ぎないという設定の『哀婉一代女』(1959年)という小説を書いている。海音寺潮五郎はお百がこれほどまで、悪女として扱われるのは、育ちが育ちなので、那珂(那河)忠左衛門の妾となっても厳格な武家女房にはなれまいと思われていたが、「昨日までの風俗に引き替え、武家の妻の行儀をたしなみ、まことに気高く、いみじきこと言うばかりなし」であるからとしている。
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