現代文学における妲己のお百とは? わかりやすく解説

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現代文学における妲己のお百

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:19 UTC 版)

妲己のお百」の記事における「現代文学における妲己のお百」の解説

妲己のお百」の物語明治10年代起きた毒婦ブームによって、さまざまな出版物通じて国民的な知名度得た夏目漱石の『坊つちやん』(1906年)では、坊っちゃんが宿の老婆マドンナ素性聞く場面で妲己のお百出てくる。「渾名(あだな)の付いて女にゃ昔から碌(ろく)なものは居ませんからね」という坊っちゃん老婆は「ほん当にそうじゃなもし。鬼神のお松じゃの、妲妃のお百じゃのてて怖い女が居りましたなもし」と返答する夏目漱石は「私は芝居というものに余り親しみがない」と書いているので、講談からヒント得た可能性が高い。 江戸川乱歩『屋根裏の散歩者』1925年)では、主人公郷田三郎友人紹介素人探偵明智小五郎知り合い、「犯罪」に興味を持つうになる郷田浅草公園で、戯れに壁に白墨矢印描き込んだり、意味もなく尾行してみたり、暗号文ベンチ置いてみたり、また労働者乞食学生変装してみたりしたが、ことさら女装気に入って、女の姿できわどい悪戯をするなど、「犯罪真似事」を楽しみ始めたこの女装によって郷田は「服装による一種錯覚から、さも自分妲妃のお百だとか蟒蛇お由だとかいう毒婦にでもなった気持で、色々な男達自由自在に弄する有様想像しては、喜んでいる」という場面で妲妃のお百出てくる。 坂口安吾の『竹藪の家』(1931年)では主人公原駄夫が居候する宿の主人野越与里が作品冒頭で妻の野越総江を「チェッ悪女め、ぬかしやがつた。てめえこそ妲妃のお百だあ。出て行きやがれ!」と罵倒する場面で出てくる。 海音寺潮五郎ここまで悪女として悪く言われるお百に同情し、お百は単に不幸な女性であったに過ぎないという設定の『哀婉一代女』(1959年)という小説書いている。海音寺潮五郎はお百がこれほどまで、悪女として扱われるのは、育ち育ちなので、那珂(那河)忠左衛門の妾となって厳格な武家女房はなれまい思われていたが、「昨日まで風俗引き替え武家の妻の行儀たしなみまことに気高くいみじきと言うばかりなし」であるからとしている。

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