玉川遠州流三石碑 (大仙市大曲 大川寺)
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玉川遠州流玉川会秋田県支部では、大仙市大曲の大川寺において、1962年(昭和37年)から毎年7月第3日曜日に“ゆかた茶会”を開催している。大曲は横手とならんで196年前の古くから当流が流布した地で、会場の大川寺の門前には、当流の明治~昭和期における大曲地区発展の史実を示す【玉川遠州流三石碑(大森宗龍宗匠碑、冨樫森月宗匠碑、齋藤森蒼宗匠碑)】が建っている。大川寺の入口から山門へ向かう右側に9個の石碑がある。入口側(手前)から5~7番目が【玉川遠州流三石碑】で、中央が【5代家元 大森宗龍宗匠碑】、右側が【冨樫森月宗匠碑】、左側が【齋藤森蒼宗匠碑】である。 5代家元 大森宗龍宗匠碑 1903年(明治36年)8月14日、5代家元大森宗龍の七回忌にあたり、池田家に茶道を教える冨樫森月(60歳)、翌年3期目の衆議院議員となる齋藤家11代齋藤勘七(51歳)、冨樫宗家21代冨樫貞治(55歳)は、兵庫県西宮の海清寺に住持する南天棒中原鄧州禅師(65歳)と京都の6代家元大森岑尾(40歳)を招聘され、大仙市大曲の大川寺に、仙北米の形状をした【大森宗龍宗匠碑】を建立する。 碑の裏側には、冨樫森月(大曲)、齋藤勘七(花館)、冨樫貞治(大曲、1947年(昭和22年)大曲町初代町長)、田口米治(大曲)、樫尾良助(高梨、村会議員4期目、旧大曲銀行 監査役)、三村作四郎(大曲)、小西為助(旧大曲銀行 支配人)、小西順子、寺田心月(六郷)、千葉志美子(花館)の氏名が彫り込まれている。 冨樫森月宗匠碑(十周年忌記念碑) 石碑の裏側に「昭和十年十月三日 十周年忌記念建立」とあることから、1935年(昭和10年)10月3日の建立である。題字は、冨樫宗家22代 冨樫時衛(ときえい、号:髙圃(こうほ))。撰并書は、六郷の漢詩人 飯村稷山(しょくざん、稷山は南天棒から頂いた居士号)である。設立発起人は、戸部房子、髙垣元子、熊谷孝子、小野地貞子、齋藤幸子の5名である。 齋藤森蒼宗匠碑(喜寿記念碑) 齋藤森蒼の喜寿(77歳)を祝い、除幕式は1963年(昭和38年)7月21日の第2回大曲ゆかた茶会で行われた。石碑の裏側に「昭和三十八年七月 門下生一同」とある。撰は、高階光夫。書は、棟方宏源(むなかた・こうげん、大川寺第32世住職、1978年(昭和53年)10月示寂)である。設立発起人は、鎌田森容、津村森茂、細谷森格、和知森碧、井上森栄の5名である。
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