玉川遠州流三石碑とは? わかりやすく解説

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玉川遠州流三石碑 (大仙市大曲 大川寺)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 17:25 UTC 版)

玉川遠州流」の記事における「玉川遠州流三石碑 (大仙市大曲 大川寺)」の解説

玉川遠州流玉川秋田県支部では、大仙市大曲大川寺において、1962年昭和37年)から毎年7月第3日曜日に“ゆかた茶会”を開催している。大曲横手ならんで196年前の古くから当流流布した地で、会場大川寺門前には、当流明治昭和期における大曲地区発展史実を示す【玉川遠州流三石碑(大森宗龍宗匠碑、冨樫森月宗匠碑齋藤森蒼宗匠碑)】が建っている。大川寺入口から山門へ向かう右側に9個の石碑がある。入口側(手前)から5~7番目が【玉川遠州流三石碑】で、中央が【5代家元 大森宗龍宗匠碑】、右側が【冨樫森月宗匠碑】、左側が【齋藤森蒼宗匠碑】である。 5代家元 大森宗龍宗匠碑 1903年明治36年8月14日5代家元大森宗龍の七回忌にあたり池田家茶道教え冨樫森月(60歳)、翌年3期目衆議院議員となる齋藤家11齋藤勘七51歳)、冨樫宗家21冨樫貞治55歳)は、兵庫県西宮海清寺住持する南天中原鄧州禅師65歳)と京都6代家元大森岑尾(40歳)を招聘され大仙市大曲大川寺に、仙北米の形状をした【大森宗龍宗匠碑】を建立する。 碑の裏側には、冨樫森月(大曲)、齋藤勘七花館)、冨樫貞治大曲1947年昭和22年大曲町初代町長)、田口米治(大曲)、樫尾良助(高梨村会議員4期目、旧大曲銀行 監査役)、三村四郎大曲)、小西為助(旧大曲銀行 支配人)、小西順子寺田心月(六郷)、千葉志美子(花館)の氏名彫り込まれている。 冨樫森月宗匠碑十周年記念碑石碑の裏側に「昭和十年十月三日 十周年記念建立」とあることから、1935年昭和10年10月3日建立である。題字は、冨樫宗家22冨樫時衛(ときえい、号:髙圃(こうほ))。撰并書は、六郷漢詩人 飯村稷山(しょくざん、稷山南天棒から頂いた居士号)である。設立発起人は、戸部房子、髙垣元子熊谷孝子、小野貞子齋藤幸子の5名である。 齋藤森蒼宗匠碑喜寿記念碑齋藤蒼の喜寿77歳)を祝い除幕式1963年昭和38年7月21日第2回大曲ゆかた茶会行われた石碑の裏側に「昭和三十八年七月 門下生一同」とある。撰は、高階光夫。書は、棟方宏源(むなかたこうげん大川寺32住職1978年昭和53年10月示寂)である。設立発起人は、鎌田容、津村森茂細谷格、和知碧、井上栄の5名である。

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