5代家元 大森宗龍宗匠碑
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「玉川遠州流」の記事における「5代家元 大森宗龍宗匠碑」の解説
1903年(明治36年)8月14日、5代家元大森宗龍の七回忌にあたり、池田家に茶道を教える冨樫森月(60歳)、翌年3期目の衆議院議員となる齋藤家11代齋藤勘七(51歳)、冨樫宗家21代冨樫貞治(55歳)は、兵庫県西宮の海清寺に住持する南天棒中原鄧州禅師(65歳)と京都の6代家元大森岑尾(40歳)を招聘され、大仙市大曲の大川寺に、仙北米の形状をした【大森宗龍宗匠碑】を建立する。 碑の裏側には、冨樫森月(大曲)、齋藤勘七(花館)、冨樫貞治(大曲、1947年(昭和22年)大曲町初代町長)、田口米治(大曲)、樫尾良助(高梨、村会議員4期目、旧大曲銀行 監査役)、三村作四郎(大曲)、小西為助(旧大曲銀行 支配人)、小西順子、寺田心月(六郷)、千葉志美子(花館)の氏名が彫り込まれている。
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