5代(海山)時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:15 UTC 版)
「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の記事における「5代(海山)時代」の解説
1907年(明治40年)1月に二枚鑑札で5代二所ノ関を襲名した友綱部屋の元関脇・海山は、1909年(明治42年)1月場所限りで現役を引退して以降は年寄専任となり、同時に友綱部屋に預けてあった内弟子を連れて二所ノ関部屋を創設した。5代は玉錦を大関にまで育て上げたものの、玉錦が1932年(昭和7年)10月に第32代横綱に昇進する直前となる1931年6月に胃癌で死去し、弟子は友綱部屋の元幕内鬼竜山雷八 (2代)が率いる粂川部屋預かりとなった。
※この「5代(海山)時代」の解説は、「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の解説の一部です。
「5代(海山)時代」を含む「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の記事については、「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の概要を参照ください。
- 5代時代のページへのリンク